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とにかくコートに早く出たかった

bjリーグレフェリー時代から愛用しているシューズ

 

ついに憧れのbjリーグレフェリーとしてデビュー戦を迎えた金城さん。

「初めて吹いたのは2014年、琉球とアルバルク東京のプレシーズンゲームでした。緊張は全く無かったです。当日は開場2時間前に入ってコートのチェックやブザー音のチェックをして、1時間前にはTOミーティングをします。その後はレフェリーそれぞれのルーティンで、ウォーミングアップする人もいるし、それぞれです。自分はルーティンで落ち着かせるというよりも、ロッカールームの外に出て選手がアップしている様子やお客さんがどれだけ入っているか見たりだとかして、とにかくコートに早く出たかったですね、毎回」

コート上で繰り広げられるのは荒々しい攻防戦。

「コートでは選手同士は勿論、レフェリーへのトラッシュトークも当たり前。お客さんもバスケットのゲーム自体を楽しんでいるので、レフェリーに対しても温かい声もあれば野次もある。ベンチ、ヘッドコーチが向いてくることも勿論あるし、もう戦場です」

「荒れるゲームの原因はレフェリーにあるんですよ。選手の息遣いや表情とかからレフェリー用語では『ゲームを嗅ぎ分ける』と言うんですけど、選手の精神面を笛で落ち着かせる、インテンシティコントロールを笛でやっていかないといけない。選手が勝手に荒れる訳ではなく、溜まりに溜まって何かが起きてるから、そこをいかに早くメスを入れていくか、です。もしミスをしてしまってもミスはミスで、試合中にそれについて考えている時間はありません。ゲームが終わった後に映像を基に分析、明らかにこちらのミスだった場合は翌日にチームのヘッドコーチに謝る場合もあったし、整理は必要です」

「気持ち的には常にニュートラルでした。ゲーム開始から終了のブザーが鳴るまで感情の起伏は特にありません。いちいち浸っていられないというか。土曜日にミスがあればすぐに修正して翌日のゲームに臨まないといけないですから」

では、金城さんの考えるベストなゲームとはどんなゲームだろう?

「出来るだけ笛の数を減らすのがベストゲームかなと。当然、悪いことをしたら笛は鳴りますよ。でもこれを極力減らす。自分の心掛けとしては重箱の隅をつつくようなレフリングではなくバスケットをさせてさせて、あ、やっぱりダメ、という時に笛を鳴らしてます」

「難しいのは、こっちが持っているレフリングの知識と選手が持っているレフリングの知識が合わない時にギャップが現れてきて、それをすり合わせるのが難しい。試合中は数秒間の中でギャップを埋めないといけなくて、説明しても納得しない選手もいます」

レフェリーの笛にかかる大きな役割

愛用の笛。手前の笛は側面に名前が入っている

 

「ゲームという商品に付加価値をつけるのが、レフェリーの大きな役割だと思います。お金を払ってゲームを観に来るお客さんが、『楽しかったからまた来よう』と思うような付加価値をつけるのはレフェリーの笛だと思うんですね。たくさん笛を吹くほどレフェリーは仕事をしている感じになるけど、それだとゲームが進まなくて面白くなくなる。ゲームの価値を上げるのも下げるのもレフェリーの笛にかかっていると思います。学生の大会でも選手の発表の場なので、持っている力を発揮させて思い切りバスケットをさせないといけないと思います」

リーグの消滅と訪れた転機

2016年、日本バスケットボール界にリーグの統合という変動が起こった。

「自分がレフェリーになって2シーズン目が始まってから、リーグの統合でbjリーグがなくなるという話が出てきて、それを聞いた時は正直ショックでした。シーズンが進むにつれて1ゲーム毎に残りが少なくなるのを考えながら吹いていました。もしbjリーグが存続していたら今でもまだ吹いているでしょう」

新リーグ設立に伴い運営も新体制に移行、ライセンス事情でレフェリーが出来なくなった喪失感を抱えていた金城さんに、県内ラジオ局からの依頼でキングスホームゲーム生中継の解説、という話が舞い込む。

——転機が訪れ、新たな角度へ広がる金城さんのキャリアについて、次回第2章へ続きます。

 

[要旨英訳]

Hisashi Kinjo is a former official referee for bj-league in Japan. This is the way he has been.

One day, he went to watch a basketball game of a pro team. He was attracted to the referee who were managing the game with resolute behavior. Aimed to be the pro referee from that day, but he is not experienced as a referee. “I wasn't rushed to succeed. Because I was an amateur.” 

He learned hard about how to play 3 men mechanics, presentation and an actual official game. “I thought that I would suffer a blow by the player when we made a mistake. Not only the technique but my mental skills were trained well.” 

After 4 years, finally he got a license as an official referee for bj-league. Despite the debut as a referee, he was not nervous and he wanted to work on the game early. According to him, “The game is just like a battlefield.  On the court, there is trash talk between the referee and plyers. Referee must do the intensity control that calms down the player. I think the cause of rough game is the referee’s game management.” 

In 2016, the unification of the league was carried out. He lost a his qualification to continue as a referee. He felt lost, but a new career begins here.

—To be continued…

Edit:Chiemi Tawata

常にアップデートしながら歩み続ける

 

Edit:Chiemi Tawata

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