『沖縄バスケットボール100年祭』クラウドファンディングのご案内

 

バスケットボールファンのみなさまこんにちは!

沖縄バスケットボール情報誌OUTNUMBERのゼネラルマネージャー(GM)の金谷康平(かなやこうへい)です。

私たちはFIBAバスケットボールワールドカップ2023が開催される沖縄で、沖縄という地域に特化したバスケットボールのメディアを運営しています。

『バスケットボールジャーナリズムを確立し人々に感動を与える』を事業理念とし2018年に立ち上げました。

琉球ゴールデンキングスを中心に、U-18、U-15、U-12などいろんなカテゴリーの沖縄バスケットボールを、
編集長の湧川太陽(わくがわたいよう)さんや仲間ともに日々取材し、発信しています。

 

沖縄バスケットボール情報誌OUTNUMBER  GM金谷康平(左) 編集長湧川太陽(右)

 

目次

【これまでの活動】

2018年10月 沖縄バスケットボール情報誌OUTNUMBER事業開始

2019年3月 OUTNUMBER RADIO(-2020年8月迄)

2020年1月 OUTNUMBER WEB開始

2020年8月 OUTNUMBER YouTube

2022年モモト51号「沖縄バスケ王国」タイアップ

2023 沖縄バスケットボール100年祭

バスケットボールファンのみなさまこんにちは!沖縄バスケットボール情報誌OUTNUMBER(アウトナンバー)のゼネラルマネージャー(GM)の金谷康平(かなやこうへい)です。

私たちはFIBAバスケットボールワールドカップ2023が開催される沖縄で、沖縄という地域に特化したバスケットボールのメディアを運営しています。『バスケットボールジャーナリズムを確立し人々に感動を与える』を事業理念とし2018年に立ち上げました。

琉球ゴールデンキングスを中心に、U-18、U-15、U-12などいろんなカテゴリーの沖縄バスケットボールを、編集長の湧川太陽(わくがわたいよう)さんら仲間とともに日々沖縄バスケットボールを取材し、発信しています。

 

なぜ沖縄ではバスケットボールが盛んなのだろう?個性あふれるプレースタイルは一体どこから?

私は中学2年生のときに沖縄県代表の北谷高校が、当時最強を誇った秋田県立能代工業と互角以上に渡り合っているのを見て沖縄バスケットボールの虜になりました。それはとても衝撃的でしたし、沖縄にルーツを持つ人間として誇りに感じました。(忠の母が沖縄出身、父は東京出身です。私自身は東京で生まれ育ちました)
そこから沖縄のバスケットボールを約25年間追いかけてきました。沖縄のユニークなバスケットボールの歴史を調査し、記録として残していくこと。それが私の使命だと思い、2018年に沖縄バスケットボール情報誌OUTNUMBER(アウトナンバー)を創刊しました。

プロジェクト『沖縄バスケットボール100年祭』(8/25~9/3)を首里城下町にて開催

アウトナンバーの活動を通じて、沖縄でのバスケットボールの起源がおぼろげにわかってきました。また、今年に入り首里の街の歴史に詳しい張本文昭(沖縄県立芸術大学教授)さんの協力により、沖縄バスケットボールの起源についての詳細がわかりはじめました。
調査を進めていく中で、玉城亀壽が1923年8月に島尻でバスケットボールを紹介したのが、沖縄のバスケットボールのはじまりであると考えられました。だとすると2023年8月は、沖縄にバスケットボールが上陸してちょうど100年となります。

沖縄バスケットボール界にとって、この重要な節目を祝うために『沖縄バスケットボール100年祭』(8/25~9/3)を首里城下町にて開催することにしました。
100年前当時のバスケットのゴールやボールを復元バスケゆんたく城下町散歩など、沖縄バスケットボールの歴史や沖縄の文化を感じれるイベントを盛り込みました。また、首里城のすぐお隣の県立芸術大学の体育館では、元プロ選手のクリニックやバスケットボールファンの交流ゲームなども予定しています。

このたびは、そのイベントにかかる費用の一部をクラウドファンディングで集めることにしました。主な返礼品は「沖縄バスケットボール100年記念Tシャツ」です。私たちのプロジェクトに賛同し、この歴史的な祭典を一緒に祝福していただけましたら幸いです。みなさまのご参加、ご協力、ご支援をどうぞよろしくおねがいいたします。

 

 

 

表面のデザインには、沖縄のアイデンティティである首里城。その背後(東)からバスケットボールに見立てた太陽が昇っていきます。これまでの100年を祝福し、次の100年の発展を願っています。


背面には、沖縄にやってくる8ヵ国の国旗を背中にプリントしています。
沖縄大会への参加を記念し、参加国がバスケットボールを通じて平和で豊かな発展を遂げることを祈念しています。

沖縄で開催されるバスケットボールワールドカップが、玉城喜壽さんが沖縄にバスケットボールを紹介したとされる1923年8月から
ちょうど100年後という奇跡的なタイミング
で重なりました。

みなさまのご参加、ご協力、ご支援をどうぞよろしくおねがいいたします。

リターンのご紹介

沖縄バスケットボール100年記念Tシャツ 
1枚3300円
2枚6600円
4枚12000円
20枚55000円 

 

また、お気持ち支援コース(10000円~)も用意させていただきました。お気持ちの支援コースとは、返礼品のTシャツは要らないけどプロジェクトを応援したいという方のためのコースです。

 

お気持ちの支援コース(沖縄バスケットボール情報誌OUTNUMBER選りすぐり4部付き)

 

アウトナンバーGM 金谷康平によるバスケットボール王国沖縄を案内

・30,000円

アウトナンバーゼネラルマネージャーの金谷康平自らバスケットボール王国沖縄を1日(8時間)案内します。
(支援者に応じた最適なプランを組ませていただきます)

イメージ

例① 10:00-18:00 ベーシックコース
国際通りを10時に集合、バスケットボールの話をしながら首里城まで歩く。おすすめのそば屋さんでの昼食。
モノレールと車での移動でアラハビーチ、沖縄アリーナへ

例② 10:00-18:00  アドベンチャーコース
10時出発やんばるへ、おすすめのお食事処でランチ、おすすめのスポットにて記念撮影、戻り18:00

例③ 22:00-6:00  チャレンジングコース
22:00におすすめのスポット集合、おすすめのお店でバスケットボールのミーディング、AM6:00解散

沖縄バスケットボール情報誌OUTNUMBERゼネラルマネージャーによる講演会

・50,000円

沖縄バスケットボール情報誌OUTNUMBERゼネラルマネージャーによる講演会(90分) ご希望の日時に調整いたします。
( 講演内容も応相談です。 2024年6月までに実施します。)

イメージ

 

これまでの講演実績
・沖縄バスケットボールの歴史について
・スポーツライターのお仕事について
・沖縄バスケットボール情報誌OUTNUMBER創業のお話
・OUTNUMBER出版記念講演など
・バスケットボールジャーナリズムミーディング
・バスケットボールビジネスミーティング

みなさまのご参加、ご協力、ご支援をどうぞよろしくおねがいいたします。

沖縄バスケットボール100年祭記念Tシャツの発送は、10月下旬を予定しております。

また、返礼の一つとして12月下旬に「バスケットボールの日イベント@首里城下町」の開催を予定しております。
100年祭記念Tシャツを着用いただけましたら無料で参加していただける交流イベントです。
詳しい日時と会場は調整中、支援者の皆様にはメールにて詳細をお送りさせていただきます。

 

このプロジェクトで実現したいこと(このプロジェクトに至るまでの流れ)

私たちは世界中、日本中から沖縄を訪れるバスケットボールファンに、沖縄のバスケットボールの歴史や沖縄の伝統文化を体感して楽しんでもらえる交流型イベント『沖縄バスケットボール100年祭』(8/25~9/3)を首里城下町(龍潭通り)開催いたします。本イベントは基本的には入場無料です。(一部有料イベントが開催される場合もございます)

『沖縄バスケットボール100年祭』には、地元の首里高校沖縄県立芸術大学の学生や地域に住む人たちがアイデアを共有して、協力をしながらイベントを作り、世界中から沖縄にやってくるバスケットボールファンをもてなします。

首里高校の有志は、100年前のバスケットボールのゴールの復元に、県立芸術大学の有志は100年前のボールの復元に挑戦しています。復元したゴールを首里城公園内に設置します。100年前の首里にタイムスリップしたような感覚を味わっていただきたいです。

また、首里城下町バスケットボールゆんたく散歩という企画を実施します。首里高校の生徒さんが首里のおすすめスポットを案内してくれたり、首里の散歩コースの組み立てのアドバイスをしてくれたり、希望者には実際に一緒におすすめの場所を巡ってくれたりします。



首里高校でのミーティングの様子

首里高校及び沖縄県立芸術大学の有志学生は、100年前のバスケットボールのゴールとボールの復元に挑みます。

その地元の人たちと世界中からやってくるバスケットボールファンが、首里という歴史と伝統のある城下町でリアルに楽しく交流できる機会になると思います。

 

プロジェクトのきっかけとなった「首里の奇跡」は、戦前の首里城がおさめられた一枚の写真からはじまりました。

首里の奇跡①首里城火災の1年後、戦前の首里城の写真の中にバスケットボールのゴールが発見された。(2020年11月)

バスケットボール王国と称される沖縄ではバスケットボールはとても人気があります。その起源は1945年の沖縄戦以後のアメリカ軍統治によるものという認識が一般的でしたが、近年その認識をくつがえす発見がありました。

2019年10月31日の首里城火災の1年後の2020年11月、南城市に住む中村明男さんは、戦前の首里城正殿の写真の中にバスケットボールのゴールを発見したのです。

 

写真の中の首里城・第一発見者の中村明男さん

「首里城の復元についてのテレビ番組を録画していたので、二回目に見たときに発見したんです。最初に見たときには気づかなくて、録画を見た時に『なんだこれは?バスケットボールらしきもの?これバスケットボールのコートじゃないか?バスケットボールのゴールじゃないか?』というのに目が留まり、誰がに伝えたいなという思いが芽生えたんです」と当時の心境を語ってくれました。かねてより琉球文化や地域史を学んでいた中村さんは、すぐさま沖縄バスケットボール情報誌OUTNUMBERに情報を提供しました。

首里の奇跡②ワールドカップのホストシティロゴに首里城正殿が採用された(2020年12月)

ワールドカップまで1000日となった2020年12月、大会のホストシティロゴが発表されました。沖縄会場のロゴには首里城正殿が採用されました。前年に焼失した首里城の復興への願いがこめられています。

2000年に首里城跡は「琉球王国のグスク及び関連遺産群」のひとつとして世界遺産に登録されています。

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③『モモトVOL.51~沖縄、バスケ王国へ~』の中で、首里城とバスケットボールを紹介(2022年7月)

戦前に、しかも首里城でバスケットボールが行われていた。2022年7月に時代と世代をつなぐカルチャーマガジン『モモトVOL.51~沖縄、バスケ王国へ~』の中で、首里城とバスケットボールを紹介しました。

④ゆいレール「FIBAバスケットボールワールドカップ号」運行開始(2022年12月)

2022年12月には沖縄都市モノレールゆいレールFIBAバスケットボールワールドカップ2023号の運行が開始。
沖縄の玄関口である那覇空港と首里駅までがワールドカップ仕様にラッピングされたモノレールによって結ばれました。

 

⑤2023年2月よりバスケットボールジャーナリズムミーティングを首里染織館suikaraで開催(2023年2月~)

 

モモトの編集長であり、首里染織館suikaraの女将でもあるいのうえちずさんのご厚意により2023年2月より
首里染織館suikaraにて、バスケットボールジャーナリズムミーティングを開催させていただいております。

⑥首里城でのバスケを調べる達人、県立芸術大学張本文昭教授との出会い(2023年2月)

沖縄県立芸術大学の張本文昭教授

戦前の首里城でバスケが行われていたこと、ワールドカップのホストシティロゴに首里城正殿が採用されたこと、ワールドカップモノレールが運行開始したことによって、首里駅と首里城公園を結ぶ道(龍潭通り)をバスケットボールで盛り上げようと思いつきました。2023年の1月に龍潭通りのお店を中心に挨拶廻りを開始すると、県立芸術大学の体育を教えている張本文昭さんと出会いました。

「もともとバスケットボールにはまったく興味はなかったです。首里に25年以上住んでいるので、首里城でバスケットボールが行われていた事実に惹かれて、そこからガーッと調べました」と語る張本さんですが、

あらゆる文献を読み漁り、各地域の図書館や資料館へ出向いては情報をかき集めました。調査の結果、玉城亀壽が1923年8月に島尻でバスケットボールを紹介したのが、沖縄のバスケットボールのはじまりであると考えられました。

なんと、今回沖縄で開催されるFIBAバスケットボールワールドカップは玉城亀壽が沖縄にバスケットボールを紹介したとされる1923年8月からちょうど100年なのです。

プロジェクトを立ち上げた背景

また、首里城でバスケットボールが行われていたこと、玉城亀壽がバスケを沖縄に導入したことなど、沖縄県民にとってはぜひとも知っておいていただきたいと思っています。沖縄バスケットボール界にとって、この重要な節目を祝うために『沖縄バスケットボール100年祭』(8/25~9/3)を首里城下町にて開催、そのイベントにかかる費用の一部をクラウドファンディングで集めることにしました。

沖縄バスケットボール100年祭!プロジェクトを応援してくださっている方からのイラストやメッセージをいただきました。ありがとうございます☆☆☆

 

イラスト©沖縄の紙芝居屋さどやん

 

 

5つのギネス世界記録を保持するフリースタイルバスケットボールパフォーマーJJさんもプロジェクトを応援していただいております。誠にありがとうございます。

 

【資金の使い道・実施スケジュール】

首里駅から首里テラスまでの1200メートル続く龍潭通りをバスケットボール一色に染めます。イベントは基本的に入場無料です。(一部有料のイベントを開催する場合があります)

イベント会場、ゲスト・スタッフにかかる費用200,000円

イベント案内板・告知物などの資材130,000円、

リターン品制作・郵送代500,000円

CAMPFIRE手数料170,000円

合計1,000,000円となります。

<募集方式について>

本プロジェクトはAll-in方式で実施します。目標金額に満たない場合も、計画を実行し、リターンをお届けします。

目標を達成した場合には、改めて目標を設定し、より多くの方と『沖縄バスケットボール100年祭』を祝福したいと考えております。また、翌年は『沖縄バスケットボール101年祭』という形で継続的にイベントを行えるような体制づくりをしていきます。

沖縄バスケ100年祭記念Tシャツ

☆沖縄バスケットボール100年記念Tシャツ 
1枚3300円
2枚6600円
4枚12000円
20枚55000円 

☆お気持ちの支援(沖縄バスケットボール情報誌OUTNUMBER選りすぐり4部付き)

・10000円

 

☆アウトナンバーGM 金谷康平によるバスケットボール王国沖縄を案内

・30,000円

 

☆沖縄バスケットボール情報誌OUTNUMBERゼネラルマネージャーによる講演会

・50,000円

「沖縄のバスケは文化が違う」沖縄のバスケットボールはそう表現されます。ではその文化の違いはどこから生まれてきたのか?

アウトナンバー編集長 湧川太陽

よく「戦後の米国統治下時代のアメリカ文化があったから沖縄はバスケが盛んなんだ」という話が定説になりつつあります。沖縄にいる僕らでさえ、それが正しいと思っていました。でも、それだけではないはずだという肌感覚がありました。沖縄の人々のバスケに対する愛情は、アメリカ文化のコピーでは説明がつきませんでした。

 今回、戦前から首里でバスケが行われ、その普及に情熱を注いでいた方々がいたことが分かりました。OUTNUMBERの活動を通じて、沖縄バスケの歴史を再び掘り起こすことができました。

もちろん、戦後の米国統治下時代〈アメリカ世〉の影響は大きいでしょう。ですが戦前から沖縄バスケを支えた方々の情熱があったからこそ、アメリカ世に沖縄でバスケが広く普及したはずです。

 娯楽など無い戦後の沖縄では、空き地の片隅につけたリングで、子供達は暗くなるまで遊んだことでしょう。高校バスケの決勝戦に多くの若者がかけつけ、さながらプロバスケのように勝負に一喜一憂しました。プロスポーツという娯楽がテレビの中の出来事だった時代、沖縄にとってバスケは「遊び」であり「娯楽」でした。

 今回のプロジェクトでは、令和の時代の沖縄の若者たちが、100年前の沖縄の若者たちに思いを馳せながら、バスケットゴールを復元して、首里の町を歩きます。ぜひ多くの方々に今回のプロジェクトに参加していただき、沖縄の若者たちを応援していただけたら嬉しいです。

 

 

沖縄バスケットボールの父を想い

バスケを通じて実現される世界平和を願う

アウトナンバーGM 金谷康平

繰りかえしになりますが、今年は玉城亀壽さんが沖縄にバスケットボールを紹介したと考えられる1923年8月からちょうど100年の節目です。
かつては
首里城正殿の前でバスケットボールが行われていた。玉城亀壽が沖縄にバスケットボールを紹介した。しかしながら沖縄戦が起こり、若者たちは戦場に駆り出された。バスケットボールのゴールとボールは首里城とともに、美しい街ごと失われた。

これらの出来事はぜひともみなさんに知っておいていただきたいと思っています。そして実は、沖縄バスケットボールの父・玉城亀壽さんは1945年6月13日に亡くなっています。

1935年に沖縄県で初の私立中学として開校した開南中学校で教師をしていた玉城亀壽は、生徒とともに戦場へと駆り出され命を落としました。平和創造の森公園(糸満市字米須1441-3)の一角にある開南健児之塔に刻銘されています。

『沖縄バスケットボール100年祭』ではバスケットボールが沖縄に上陸して100年を祝うとともに、バスケットのゴールやボールの復元を通じて、先人たちの情熱を注ぎこんだバスケットボールのあるかつての日常に思いを馳せたいと思います。
そして今感じられる平和に感謝をし、
沖縄からバスケットボールを通じて世界に平和が広がっていくことを願っています。

開南健児の塔(平和創造の森公園内)

合掌

飛行機の窓から望む糸満市米須(平和創造の森公園)一帯

 

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この記事を書いた人

1983年11月5日生。東京都豊島区出身。那覇市在住。母が那覇市出身で2015年に沖縄移住。沖縄バスケットボール情報誌OUTNUMBERゼネラルマネージャー。
中学2年生のウインターカップ(1997年)で、当時圧倒的な強さを誇っていた能代工業を追い詰める北谷高校の勇敢な戦いぶりに衝撃を受け、以来沖縄のバスケットボールを追いかけるようになる。野球やサッカーに並ぶように、バスケットボールのジャーナリズムを発展させていくことを目指し、2018年10月にOUTNUMBERを創刊した。
2020年にはOUTNUMBER WEB、OUTNUMBER YOUTUBEを運用開始した。

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