FIBAバスケットボールワールドカップ2023受入体制構築シンポジウム

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日本で唯一のホストシティ 沖縄市による最低で最高のシンポジウム

25日『FIBAバスケットボールワールドカップ2023受入体制構築シンポジウム』が沖縄市で開催された。世界的なスポーツメガイベントまで3年を迎えたこの日、会場となったNBCは入念なコロナ対策によって生じる緊張感と機運醸成のために新調されたスタイリッシュなパネルから溢れる期待感が入り混じった。GoToトラベルキャンペーンとコロナに翻弄された沖縄県と同様に、沖縄市もシンポジウムの開催方法が決定するまでに時間を要した。必然的に準備に充てられる時間は少なかっただろう。不安定な通信状況は、どんよりとした曇り空のせいか。シンポジウムは終始ハウリングに悩まされた。困難な状況はスポーツマンシップを学ぶには絶好の機会だろう。ワールドカップの受入体制構築に必要な要素を身をもって感じることができる最高の時間になった。

シンポジウムには、桑江朝千夫沖縄市市長、沖縄商工会議所会頭宮里敏行氏、沖縄観光物産振興協会会長島袋隆氏、沖縄県文化観光スポーツ部部長渡久地一浩氏、日本スポーツマンシップ協会中村聡宏氏、沖縄アリーナ株式会社代表取締役木村達郎氏がパネリストとして考えを述べた。Bリーグの理事会に出席するために上京していた木村氏はウェブを利用してリモートで参加した。

 

歴史的イベントへの感謝し地域の経済発展に寄与   沖縄商工会議所会頭 宮里敏行氏

三屋会長がプレゼンをしてワールドカップ開催が日本に決定したことは大変すばらしいなと思いました。そして開催もフィリピンはマニラ、インドネシアはジャカルタとほとんどがその国の首都で試合が開催される。その中でこの沖縄市でワールドカップが開催されるということは歴史的なイベントです。アリーナの計画をもってそれを誘致したことには経済団体としても感謝を申し上げたいと思います。これからこのアリーナを大きなチャンスだと思って、我々経済界はしっかり地域の発展に寄与するように経済活動をしっかりと整えていければと思います。

(沖縄商工会議所 会頭 宮里敏行氏)

究極のエンターテイメント 非常にワクワクしている 沖縄市観光物産振興協会会長 島袋隆氏

内緒にしていただきたいんですけども、私はバスケットが出来ません。。。(会場苦笑)
学生時代一度たりともボールをリングに当てることが出来ませんでした。完全なバスケット音痴であります。ただその私が、バスケットボールに魅せられた。いつのオリンピックだったか忘れましたけれども、オリンピックにプロのアメリカの選手が参加したんですね。その時にショックを受けたんです。バスケット音痴の私が規定するバスケットボールというのはひたすらリングに向かって走り回ってボールを入れる、それがバスケットボールだと。ところがそのときオリンピックで見た光景は、ドリブルでリングに走っていくのは想定通りだったんですけども、リングの直前でいきなりボールが消えたんですね。よく見てたら背中からボールをトスして、いつの間にか並走していた自分の仲間にトスをして、それをボールを投げ入れるんではなくてリングに叩き込んだ。そういうバスケットボールを見て大変ショックを受けました。スポーツではあるけれども、『これは完全なるショーだ』。エンターテイメントです。非常に感銘を受けたのを覚えています。こういった素晴らしい妙技が、ショーが、スポーツが、わが沖縄市で開催されるということに非常にワクワクしています。

(一般社団法人沖縄市観光物産振興協会 会長 島袋隆氏)

 

全県的な盛り上がりをどのようにつくっていくか 沖縄県文化観光スポーツ部部長 渡久地一浩氏

県内では琉球ゴールデンキングスの活躍が県民の大きな励みになると同時に地域の活性化にも繋がっています。そういった中で、例えば八村選手を含めた世界の一流のプレイヤーが沖縄でプレーするということが、本当にこどもたちにとってどんなに夢と希望を与えられるかというのが今から本当にワクワクするところです。新型コロナの影響で沖縄も大変厳しい状況ではありますけれども、コロナ禍が落ち着いた回復の時期を見据えた中でも、バスケのワールドカップが予定されていることに大変心強く感じております。

沖縄県では、アジア世界に開かれたスポーツアイランド沖縄の実現を目指して活動していますけれども、2023ワールドカップは、本県で初めての国際的な大きな大会ということで、その目標の実現へ向けての大きな第一歩になると考えています。沖縄アリーナを有する沖縄市はもとより、全県的な機運の高まりをどう図っていくかということが必要と感じております。県としても開催地となる沖縄市をしっかりと応援していきたいと思います。

これだけ大きな大会になりますので、本当に沖縄に様々な期待しております。ひとつは沖縄県というのは独自の文化、歴史、自然環境がありますので、それを世界に知ってもらうことが出来る。すなわち沖縄の認知を向上させるチャンスだということ。それから国内外から多くのバスケットボールファンが来ていただけるということを、スポーツツーリズムの発展に貢献すること。それから世界各国から代表チームが来日されるということで、次世代を担うこどもたちにとって特にいい機会になる。そういったいろんな形での恩恵が最大限に受けられるような形の支援をしたい。特に各国の代表チームとこどもたちの交流の場をつくるなど様々な形で支援をしていけたらと思っています。

(沖縄県文化観光スポーツ部 部長 渡久地一浩氏)

沖縄の人々をあたたかく迎えるホスピタリティが大会を成功させる 沖縄アリーナ株式会社 木村達郎社長

2023年に限らずアリーナに関してはしっかりと供用開始を迎えて、イベントをしっかりと実現実行していくということが求められていると思います。そのためにも、アリーナが出来た瞬間が完成というか、100%完成ではなく、運用しながらどんどん知見をためて作っていく、あるいは運営者だけではなく来場される方が一緒に体験をその場で積み重ねていくことで、本当の意味で生きた建物になっていくものだと信じています。

私自身もオリンピック、ワールドカップいろいろなイベントに仕事で出かけたことがありますが、やはり沖縄のファンの方々の温かい声援、スポーツマンシップ、スポーツマンシップ以前に人々を温かく迎えるホスピタリティ、このあたりが沖縄の大会を成功させるとても力強い要因になっていくと思いますので、施設に限らず、施設と沖縄市と地域と人々が一体となっていくことが一番大切だと思っています。

まだまだやっていかなければならないことは多いと思いますけれども、琉球ゴールデンキングスを通じて、バスケットボールを通じて、沖縄市だけでなく沖縄県を盛り上げていく元気にしていくことを通じて、それが未来につながっていくと思って目の前のことを頑張っていきたいと思います。今日はありがとうございました。(沖縄アリーナ株式会社 木村達郎氏)

 

チャレンジを続けること、沖縄市らしい新しいスタイルを見つけていく  日本スポーツマンシップ協会 代表 中村聡宏氏

オリンピックにしてもワールドカップにしても、日本人は始まるまでやっていることを知らないというケースがほとんどかもしれないです。一つ目のメダルとったくらいから、オリンピックやってるぞみたいなことで急に火が付いたりするので、じつは広報の作業って苦労するんじゃないかなと思います。

今回のような遠隔も、こういうチャレンジも今までは簡単に出来なかったのが、出来るようになってきている。今まだ過渡期なんで、そういったチャレンジをどんどんしていくなかで、通信インフラ、SNS、デバイスもツールも変わっていくと思うので、そういうことに皆さんが恐れずに柔軟にチャレンジしていただくことが一番大切です。その中に沖縄市らしい適切なメディアとの結びつきとか、こういう発信をするとみんな喰いついてくれるっていうのが見つかると思うので、過去の事例から成功事例を見つけるのではなくて、沖縄市らしい新しいスタイルを見つけていくのがいいと思います。

今日話をしておしまいではなくて、みなさんとのコミュニケーションをとるスタートだというふうに思っています。私自身はずっと沖縄に軸足を置いているわけではないですが、心は常に沖縄にいるつもりで2023年に向けてみなさんとご一緒できること、私どもで何か協力できることは惜しみなく提供させていただきたいと思います。ぜひこれからもご一緒させていただければと思います。本日はありがとうございました。(日本スポーツマンシップ協会 代表理事 中村聡宏氏)    

 

 

 

 

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この記事を書いた人

1983年11月5日生。東京都豊島区出身。那覇市在住。母が那覇市出身で2015年に沖縄移住。沖縄バスケットボール情報誌OUTNUMBERゼネラルマネージャー。
中学2年生のウインターカップ(1997年)で、当時圧倒的な強さを誇っていた能代工業を追い詰める北谷高校の勇敢な戦いぶりに衝撃を受け、以来沖縄のバスケットボールを追いかけるようになる。野球やサッカーに並ぶように、バスケットボールのジャーナリズムを発展させていくことを目指し、2018年10月にOUTNUMBERを創刊した。
2020年にはOUTNUMBER WEB、OUTNUMBER YOUTUBEを運用開始した。

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