伊集南さんの今後の人生とは(前編)

沖縄県出身で元プロバスケットボールプレーヤーの伊集南さんにお話しを伺いました。デンソーアイリスの中心選手、3×3の日本代表としてご活躍された伊集さんですが、今年の420日に現役引退を発表されました。東京都内で開かれた今シーズンのWリーグ開幕に向けた記者会見の中で功労賞として発表されました。多くの実績を残してきた伊集さんに現役時代やこれからの人生について語っていただきました。

文、インタビュー=鈴木貴登 写真=大坪まな実

 

・まず、現役生活お疲れ様でした。現役引退を発表されたコメントの中で「中学生の時にバスケットを始めた」とありましたが、どのようなきっかけでバスケットを始められたのですか。 

小学生の頃に少年野球でピッチャーをしていました。中学では何をしようかと考えていた時にたまたま世界最高峰であるNBAがテレビでやっていて、それを観た時に魅了されました。ワクワクした感覚は今でも覚えていますし、それがきっかけで一気に夢中になりました。

私がテレビで観たバスケットが世界トップレベルの試合であったおかげで、バスケットを学んで、これに近づかなくてはという思いでした。最初に観たバスケットがNBAであったというのはとても大きかったです。その時にバスケットは魅了するものという認識が自分自身の中にありました。そこから私のバスケット人生は始まりました。

実は沖縄の実家の半分がプレールームになっていて、いろいろなスポーツを体験することができました。プレールームにはリングもあったので、そこで練習をしました。父との一対一の練習や映像を見ては動いてを繰り返し、バスケットにハマっていきました。

 

・なるほど、NBAの映像を観たことがきっかけで、バスケットを始められたのですね。そして、中学・高校・大学とプレーを続けられたのですね。

大学は筑波大学に進学をされて、卒業後の20134月にデンソーに入団されました。様々な選択肢はあったかと思いますが、デンソーというチームを選んだ理由はどのようなところにありますか。

デンソーで7年プレーしましたが、私のバスケット人生は筑波大学に行って開いたと思っています。筑波大学に進学していなければ、おそらくずっと沖縄にいたままだったと思います。色々な方々のおかげで私は筑波大学への道ができましたし、大学での4年間があったからこそ、デンソーからお声がけしてもらったという感じです。

まず、デンソーを選んだ理由としては“初めての日本一に貢献をしたかった”という思いがありました。デンソーというチームは私が入った時はこれからというチームでしたので、自分が入団して初優勝に貢献したいという思いが一番強かったです。ルーキーの年にデンソーが初のファイナルへの出場を果たしました。それからファイナルへ出場はするものの私は準優勝までしかできず引退をしました。日本一になりたかったですが、私の夢は仲間に託し、自分は引退をすることにしました。私が入団してからは常にベスト4の位置にチームはいました。常にファイナルへ行くチームにデンソーを強くできたのは私の誇りでもあります。

そして、この7年間でファンの方も増えましたし、デンソーバスケットへの見方も変わりました。そういった意味では「デンソーアイリスの伊集南」というものを確立できたと実感はしています。

また、私がデンソーに入団する際に、沖縄でデンソーを知っている方は少なかったです。私がデンソーというチームを強くして、沖縄で知ってもらうのもある意味、面白いなと思って活動をしていました。

(写真提供:デンソーアイリス)

 

・筑波大学での生活が伊集さんの人生の中では大きかったようですが、大学生活はいかがでしたか。

1年生の時は1から5限までの授業後にバスケットをしていました。そして、初めての一人暮らしや全学部の方が住んでいる寮での生活もあり、急に目まぐるしい生活が始まりました。とにかく筑波大学の校内は広かったのも覚えています。入学当時は生活環境が大きく変わったので慣れるのに苦労をしました。筑波大学では新しいバスケットを学ぶことができましたが、沖縄にしかいたことのない私が故郷を離れて新しいバスケットをするということは慣れるまでに時間が掛かりました。

昔から人には恵まれていたので、そういった中でも手を差し伸べてくれる先輩方や先生がいたので、その方々のおかげで何とか1年を終えることができました。

目まぐるしい1年でしたが入部した年のインカレで優勝をしました。1年生でしたが、ファイナルの舞台に立つことができましたし、何かしら経験値を貰っていたので、2年目からは生活にも慣れ、少し余裕を持って活動することができました。

2年目からは面白いように心と身体が変化していきました。授業や部活を通じて専門知識やトレーニングを学ぶようになり、バスケット以外のことからでも違う自分に出会えるのではないかと考え、さらにワクワクしていきました。

                           

 

・筑波大学での様々な経験があって、プロ選手としての道があったのですね。先程、デンソーへ入団された理由をお聞きしましたが、大学を卒業してプロとして活動をしようと決めたきっかけは何ですか。

大学2年生から力をつけてユニバーシアードの大会で日本代表になる等、色々な経験をしました。そこからもっと上に行きたいと思うようになりました。

先輩方が当たり前のようにWリーグのチームに入団をしていきました。先輩方のようになりたい、Wリーグを目指したいと思ったので、同じようにプロを目指すようになりました。

私は“もっとこうしたい”という向上心があり、積極的に行動するタイプだったので、困難な状況もたくさんありましたが、1つずつクリアをしていきました。

 

・プロバスケットボール選手として活動をされてきて、簡単に振り返ることができるお話ではありませんが、現役生活を振り返っていかがですか。

もちろん楽しいことばかりではなく、悔しさや苦しさもたくさんありますが、すべてが私の中で誇りに思えるものです。たくさんの思い出が私の“バスケット人生の価値”として残っています。本当に気を張り、背負ってプレーしていたと思うくらいこの7年間の中で1年1年が勝負と思って活動してきたので、引退を決めた時も悔いはなかったです。

東京オリンピックまでと決めてプレーをしていました。感染症の影響でオリンピックが延期となった時に、1年後までやっている自分を描くことができませんでした。もともと次の人生へ進みたいと考えていて、Wリーグをもう1年やって、また代表をやるというのが自分のプランとして出てきませんでした。家族とも話し合い、新しい私の人生を見たいと思った以上はそこに進んでも良いのではないかと思って決意をしました。

この7年間を何かでまとめるのは難しいです。1年目に新人王を受賞しましたが、それ以上に1年目に初のファイナルへ出場したときのことは私の中で今も印象に残っています。1年目は何をしても私だけ初めての体験でしたが、ファイナルだけはチーム全体が初めての経験でしたので、そのことがすごく嬉しかったです。当時の代々木第二体育館でJX―ENEOSとファイナルの試合を行いました。デンソーの当時のチームカラーであったブルーとJX―ENEOSのイエローで会場の客席が2つに綺麗に分かれていました。真っ青な客席を見ることが嬉しかったですし、感動しました。ずっとここで試合のできるチームでありたいなと思いました。みんなで味わった初めての感覚はとても印象に残っています。

あとは、7年間ずっとチームの中心選手としてプレーしてきましたが、自分のシュートで負けることもたくさんありましたし、自分のシュートで勝つこともありました。責任を担う選手としてデンソーでプレーできたことは光栄です。また、自チームとプラスして国を背負う選手としてプレーできたことを誇りに思っています。本当に、色々な方々への感謝の想いでいっぱいです。今後は人に愛を与えられる人間になりたいです。“どんな選手であったかよりもバスケットを通してどんな人になれたか”だと思っています。なので、私の人生はまだまだこれからだと思っています。

Wリーグ功労賞を受賞)

 

・現役生活の中でいろいろな思い出や思いがある中でのお話しをいただき、ありがとうございました。今のお話しの中で“次の人生”とありましたね。現役引退のコメントにも「簡単な決断ではありませんでしたが、次の人生に行きたいと考え」とありました。伊集さんにとって次の人生に対してどんなビジョンがありますか。

引き続きデンソーと契約をし、選手とは違う立場でデンソースポーツのプロモーターとして発信をしていきたいです。バスケットの素晴らしさを伝えることや、バスケットを通じての社会貢献や普及活動をしていきたいです。デンソーからオファーを頂いて、この場にいることに感謝をしています。

Wリーグではメディアを通して、私が女子のバスケットをPRしていくこと、3×3の協会にも携わり3×3という競技の普及にも関わっています。いずれは沖縄へ戻りたいので、今のうちにいろいろなことを吸収して沖縄へ還元したいです。

その前にデンソーやファンの方々へ恩を返していきたいです。今日、この取材をしている刈谷市の日高公園の近くにある「cafe bise」(カフェビーズ)というカフェが大好きで、オーナーと一緒にカフェが少しでも盛り上がり、多くの方にこの空間を味わってもらいたいと思っています。楽しいことを共有したいなと思いカウンターや小屋を作り、私が時間のあるときは小屋に立ってファンの方々と交流をしています。自分のプライベートで時間を作れば地域の方と関われる時間もできますし、ファンの方にも恩を返せる場にもつなげています。カフェの盛り上げにもなりますし、好きでやっていて楽しんでいることの1つです。

 

・今後の人生が楽しみですし、応援しています。そういえば、伊集さんのSNSで解説をしたと発信をされていましたが、解説はどうでしたか。解説も次の人生の中でやりたいことの1つでしょうか。

はい、解説もやりたいことの1つでした。もともとメディアには興味があったので、解説というものをやりたかったです。良し悪しは分からないですが、すごく楽しくやらせていただきました。解説で他の方の真似をしてもしょうがないと思い、自分を表現するのが一番良いかなと感じて自分らしくできるよう意識しました。現役を終えたばかりで、各選手の情報は頭には入っていたので、選手の良さや特徴を話しながらその時の流れで解説できれば良いなと思っていました。なんでもそうですが、楽しんでやっているほうが良いと感じます。選手と違う立場でバスケットボールを広げるのも魅力的だなと思う1つのきっかけでした。

 

・話しは変わりますが、本日はシューズ等の現役時代に使用したグッズをお持ちいただきました。何かこだわりはありますか。

現役中はナイキと契約をしていたので、ナイキのバッシュを使用していました。高校の時から「エア ジョーダン」を履いていて、エア ジョーダン 32 LOWは履きやすくてカラーもたくさんあり、気に入って使用していました。基本いろいろな種類を持っていますが、3×3の大会ではこのモデルを履いていました。私がナイキの商品を使用し、宣伝することが仕事でしたので、ナイキのアイテムを身に着けることは意識していました。

 

・デンソー時代のユニホーム、3×3日本代表のユニホームともに背番号は13番ですが、13という数字へのこだわりはありますか。

1と3に縁があります。103日生まれなので、1と3です。伊集南も番号で110373と表すことができ、1と3が最初と最後につきます。そういったこともあり、13が自分を一番引き出せる番号なのではないかと思い、13番にしました。

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

沖縄の皆様!愛知からOUTNUMBERの仲間になりました。
沖縄、縁の選手への取材から「FIBAバスケットボールワールドカップ2023」を盛り上げます。宜しくお願いします。

目次