コービー・ブライアントの軌跡〜マンバの礎〜

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突然の別れ

2020年1月26日、全米のみならず、バスケットボールファンに限らず、全世界に、スポーツ界のレジェンド KobeBryantのヘリコプター事故死による悲報が走った。去った8月23日(1978年8月23日)は、コビー・ブライアントの誕生日で、背番号にちなみ、8月24日(永久欠番である「8」と「24」)は、コービーの日とされている。

生い立ち

Kobeの名前の由来は、父、ジョー氏のお気に入りだった、鉄板焼きレストラン「Kobe Steak House」(神戸ステーキハウス)に、妻と行った際、KOBE(神戸)の地名の由来を、店主に聞いたことをきっかけに、両親が、名前を気に入って、Kobeと名付けたとされている。日本においても、縁のあるレジェンドKobeである。

慈善事業

Kobe本人は、1998年、初来日した際、生まれて初めて、自身の名前の由来となった「神戸」の地を訪れる。その際、東京開催であった「adidas ABCバスケットボールキャンプ」での募金を、神戸の市民福祉に役立てるために、神戸市に寄付をしたり、2001年12月13日〜2011年の約11年間、神戸大使に就任され、震災で傷ついた神戸市を、励まし続けたことでも有名である。

キャリア

1996年、アーリーエントリーとして、デビューして以来、2016年までのプレーヤーとしての20年間、コービー・ブライアントのキャリア記録は、下記の通りになる。

NBA史上最年少記録

史上最年少スラムダンクコンテスト優勝:18歳と175日

史上最年少オールスター先発出場:19歳と175日

史上最年少オールNBAディフェンシブチーム選出:21歳と251日

史上最年少通算得点到達:32,000得点 36歳と87日/33,000得点 37歳

NBA史上最年長記録

34歳以上40得点10アシスト以上記録した連続試合数2回

34歳以上30得点以上記録した連続試合数10回

36歳以上1試合30得点10アシスト10リバウンド以上記録

37歳以上1試合60得点以上記録

生涯、ロサンゼルス・レイカーズを愛し続け、フランチャイズプレーヤーとして、名実共に、ロサンゼルス・レイカーズの顔、バスケットボール界のレジェンドプレーヤーとして君臨した、コービー・ブライアントのラストシーズンは、2016年1月21日、ファン投票で、最多得票を獲得した。自身の持つNBA記録を更新する18年連続のオールスターゲーム出場が決定した。

2016年4月13日、レギュラーシーズン最終戦でも、現役引退試合を最後に、10得点ビハインドで迎えた残り2分30秒から、ノーミスの連続13得点を挙げ、チームを逆転勝利へと導いた瞬間は、神がかったプレーであった。キャリア6度目となる、ひとりで、1試合60得点を記録し、「有終の美」を飾った。

コービー・ブライアントが、このユタ・ジャズ戦を最後に、37歳にして、60得点は、ウィルト・チェンバレンが、48年前に記録した以来、誰にも破られなかった32歳での60得点を大幅に更新する「NBA史上最年長記録」にもなった。

ジョーダンとコービーの比較論

名将フィル・ジャクソンHCから語り継がれるふたりの印象。

コービー・ブライアントは、往年、マイケル・ジョーダンに憧れ、マイケル・ジョーダンをメンター(師)として、マンバ・メンタリティーを貫いてきた。フィル・ジャクソンHCは、こう語っている。

マイケル・ジョーダンと共に6回優勝。コービー・ブライアントと共に5回優勝。これは、HCキャリアにおいて、生涯、忘れられないと語っている。両者を比較すると、コート外でのリーダーシップ、FG成功率、ディフェンス貢献度、以上の3点を理由に、ジョーダンが、格上であると結論付けている。

ただし、コービーが、ひとりで、1試合81得点(歴代2位)を挙げた試合は、「ジョーダンのどの試合よりも、コービーが、凄かった」と発言していたり、「残り10秒2得点ビハインドの状況ならば、ジョーダンより、コービーにシュートを任せる」と発言している。

神様ジョーダンに憧れ、マンバコービーは、キャリアでも、数々の偉業を残してくれた逸材だった。コービー追悼式でのジョーダンの涙のスピーチでは、コービーの人生と愛弟子コービーの神様ジョーダンが想う感動エピソード満載のスピーチである。

ライターTERULINが想うMAMBAフィロソフィー

「強い意志力と集中力」を持つ、ブラックマンバ。毒蛇を自身の愛称にするコービー・ブライアントは、これまでのキャリアから「鋭い洞察力・強い意志力・猛烈な集中力」を刻み続け、数々の功績や偉業を残してくれた。そのMAMBAフィロソフィーは、41歳の生涯を閉じても、私の心の中では、永遠に生き続けています。MAMBAメンタリティーは、MAMBAフィロソフィーとして。

最後に、ヘリコプター事故死による、ジアーナ含む9名の追悼の意とコービー・ブライアントファミリーに、心からお悔やみ申し上げます。そして、心からありがとう。コービー・ブライアントは、永遠に生き続けています。コービー・ブライアントは、永遠に不滅です。

 

 

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この記事を書いた人

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思想・Vlog(Influencer)/事業家・投資家(Investor)/OUTNUMBERライター(Eventer)/chance.choice.change(3ch)成長をアテンド/3チーム跨ぐボーラホリック46歳/シニアバスケばか現役プレーヤーおじさん/3度の飯よりバスケを愛します/バスケ啓蒙普及活動/地方創生・地域貢献・寄付文化/共創/バスケを通して琉球(沖縄)カルチャーを世界中にお届け/GOOD FELLOW/きっかけを選択肢にして変化(3ch)・成長していきましょう

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