【バスケ少年が音楽の道へ】「ORANGE RANGE」YAMATOのバスケット談義

沖縄のバスケ情報を発信するFMコザのラジオ番組『OUTNUMBER RADIO』

今回のゲストは結成19周年になる沖縄発の大人気バンドORANGE RANGEのボーカルとして活躍するYAMATOさん。音楽を始める前はバスケ少年だったYAMATOさんをゲストに迎えてのバスケットボール談義をお届けします。

『OUTNUMBER RADIO』
FMコザ・FMぎのわん
毎週金曜14時〜15時

目次

バスケ少年が音楽の道へ

金谷:皆さんご存知の通り、YAMATOさんはORENGE RANGEのメンバーとして日本中で活躍してるんですけど、実はその前はバスケ少年だったということで。

YAMATO:音楽する前は小中高とバスケをしてましたね。

金谷:バスケを始めたきっかけはなんだったんですか?

YAMATO:僕は山内小学校、山内中学校出身で、小学校の時は山内タイガースという野球部に入ってました。学校が終われば放課後は野球をするという生活で。

でも、うちのお父さんがバスケの出身で一般でバスケをしてたのもあって、野球が終わって家に帰ったらお父さんについて行って一緒にバスケをしてました。

それで気づいたら自分もバスケットを始めて、野球とバスケを掛け持ちしていた感じです。

金谷:沖縄市の山内というと、あのエリアはバスケどころですよね。コザも北谷も山内も全国レベルで。

YAMATO:中部地区の中でも強いですね。当時中学校の頃、ベスト4にコザと北谷が入っていて、そこに挟まれてる山内中の気持ちにもなって欲しかったです。コザなんて僕らの代は全国優勝してますからね。

金谷:呉屋貴教さんとか。

YAMATO:貴教は中学校の頃に普通にダンクしてましたからね。

金谷:山内中バスケ部はどうだったんですか?

YAMATO:弱小ですよ。沖縄市の中でもかなり弱い方でした。コザがずば抜けて強かったですね。

反抗期軍団の高校時代

金谷:YAMATOさんはBリーグとかも観たりするんですか?

YAMATO:しますします。オレンジレンジのイベントにも琉球キングスさんに来ていただいて何度か一緒にやってもらったり。

ヒーサー(山内盛久選手)とかも山内中の後輩ということで来ていただいて、盛り上げてもらったりしましたね。

金谷:そんな中で長くやってきてるわけですね。

YAMATO:そうですね。気づけば来年で結成20周年になりますね。

金谷:ORANGE RANGEとしては高校生のうちから活動をされてたんですよね。

YAMATO:僕は地元が山内で、ORANGE RANGEの他のメンバーはみんなそのまま北谷高校に行くんですよね。でも僕は高校は中部商業に行くんですけど。

2年の途中でバスケを辞めたんですよ。みんな反抗期過ぎて…

当時の中部商業は上手い人はたくさんいたんですけど、みんな「自分がエースだ」と行って引かなくて、まとまりが全くなくて。

みんなが反抗期の反抗期軍団だったんで、面白くないからバスケ部を辞めました。

それで、バスケを辞めてから放課後は中部商業でやることがなくなって。

地元に帰るとみんな音楽をやり始めてたので、僕もその中に入ってたら気づけば音楽をやってました。

デビューからずっと住居は沖縄に

金谷:ORANGE RANGEのメンバーはみんな山内中ですか?

YAMATO:そうですね。当時の北谷はみんなバンドをしてて、僕らのメンバーも気づけばバンドをしていた感じです。

当時のコザ、北谷は音楽にありふれてて、僕らが音楽を始めた頃はほとんどの人がバンドをしているような感じでしたね。

ちょっと肩ぶつかれば、「え、今FOした?」みたいな(笑)

金谷:高校生からバンドを始めていきなり一気に売れていくわけなんですけど、世の中一気に変わっていきましたか?

YAMATO:それが不思議と、19年バンドをやっててずっと沖縄に住んでるんですよ。でもみんな僕らが内地に住んでると思ってるんですよ。

一言も東京に住んでるなんて言ってないのに「え、ORANGE RANGEは東京に住んでるんでしょ?」って言われます。

例えば年間100回飛行機に乗るとして、それを続けてると勝手に沖縄に帰る場所があるから売れてる実感がないんですよ。行ったり来たりばかりしてて空の上にいる時間が長いから。

売れてる売れてないとか考えてる余裕がなかったです。その感覚が19年経った今も変わらないですね。

「1日中泣いてました。」

金谷:YAMATOさん、好きなバスケットボールプレイヤーって誰ですか?

YAMATO:僕が一番初めにバスケットを始めるきっかけになったのはジョーダンです。

小学校で何も知識がないままバスケを始めるとみんなジョーダンの真似をし始めるですよ。当時の沖縄ではNBAはBSで放送されてて、それしか見れなかったんですけど。

小学校でバスケを始めて、ジョーダンの真似をしながらずっと試合を見てると別の選手も目につくじゃないですか。そこで本当に好きなったのはレジー・ミラーです。

彼のミラータイム、打点の高い手首のシュートをずっと真似してました。

そのまま中学校に上がって、野球部の先輩が怖くて野球部に入らず逃げるようにバスケット部に入ったんですよ。その時にジョーダンの3連覇の試合をクラスみんなが授業を止めて観戦してましたね。

そこからですよ、第3人目のコービー・ブライアントが出て来て。95年にドラフトがかかって、すごい奴が入って来たと。

金谷:そうですよね。オールスターでのレッグスルーダンク。あの時のレイカーズもエディー・ジョーンズがいて、あの2人が最高に面白くて。

YAMATO:僕はニック・ヴァン・エクセル派でした。ヒジャヤー(左利き)が好きなんですよ。僕もともとヒジャヤーで、野球をする時に右に矯正されたんです。

他にも好きな選手はいっぱいいますけど、時にこの3人には影響されて。

金谷:コービー・ブライアント、今年事故で亡くなってしまったんですけど、この日のニュースはどのように受け止めましたか?

YAMATO:さっき好きな選手を3人あげたんですけど、これほどまでに好きになった選手っていなかったんですよ。

スポーツ全般大好きで好きな選手もたくさんいるんですけど、コービーが亡くなった日は初めて1日中泣いてました。自分でもビックリするくらい。

どんな気持ちで泣いてるんだろうかと。

コービーがいなくなるのはこんなにも苦しいのっていうのを感じました。

親戚でもなければコービーは僕のことを知らないし、プライベートのコービーも知らないけど、めちゃくちゃ苦しくて言葉にできなかったですね。

バスケ少年が音楽の道へ

金谷:ここでスペシャルゲストを2名追加しました。安里幸男先生と、琉球新報の長嶺真輝さんです。

安里・長嶺:よろしくお願いします。

今でも自慢に思ってること

金谷:YAMATOさんは安里先生とコートで面識があると。

YAMATO:そうなんですよ。中部商業時代、当時1年生だったんですけどスタメンに入れてたんですよね。

その時に、先生が監督をする北谷高校と試合をして。

試合後に相手チームにも挨拶をするんですけど、その時に安里先生が僕に「お前はなんで北谷高校に来なかったの?」って声をかけてくれたのがめちゃくちゃ嬉しくて。

「あ、すぐ行きます!」って言いたいんですけど、そんなギャグも思いつかないくらい嬉しかったです。

金谷:先生、その時のことは覚えてますか?

安里:覚えてる、わけがない(笑)

でも1年生ながら声かけられたことってよっぽど目立ってたんだね。だって当時の北谷高校って言えば全国大会は常連で全国3位にもなってた時だったから。

その当時の北谷と試合して目についたってことは、本当に来て欲しかったんだと思うよ。高校生相手にアンダーグチ(お世辞)言う必要もないですし。

今も見るからにジャンプ力がありそうな体つきをしてる。

YAMATO:これだけは僕の本当の自慢話です。どこ行ってもバスケの話になれば「安里先生から声をかけられたんだぜ」って自慢します。ORANGE RANGEのことは自慢しないけど。

安里:やっぱり人はいい声かけってするべきだね。野村克也先生の言葉にもあるんだけど、素直に良いものは良いと。

YAMATO:他校の生徒のプレーにまで目を向ける気遣い、心遣いはさすがだとも思いますね。

安里:それほど目立ったんだよ

YAMATO:イヤイヤ(笑)

バスケと音楽に共通する『上達のコツ』

YAMATO:当時、シャドーバスケが好きで、空想の相手とずっと1vs1をやってたんです。

小学校までゴールに届かなかったのでツーハンドだったんですけど、中学校に上がるとみんなワンハンドで「なんでお前ツーハンドなの?」って言われて。

それが悔してくて、放課後はずっと公園のリングで1人でシャドー1vs1をやってました。それをやってると気づけば2年の頃には3年生メンバーの中でスタメンを取ってました。

安里:イメージ練習ってとても大事なのよ。それが実戦向きだから。

YAMATO:今思うと上手くなるための秘訣は夢中になることだと思うんですよ。

でも先輩の代でスタメンを取ると、僕も世間知らずなのですぐに調子に乗るんですよ。調子に乗って眉毛とか剃ったりしてすぐにスタメン落ちするとか(笑)

そういうヤンチャなことはいっぱいありました。

音楽も部活も、いかに夢中になるかっていうのが上手くなる秘訣じゃないかなと思いますね。あれだけ夢中になってたからみんなを抜けたんじゃないかなと。

金谷:北谷高校に行って欲しかったですね。

安里:いやでも、もし北谷に来てたら今こうなってないかもしれないからね。

YAMATO:音楽はしてないかもしれないですからね。辞めたきっかけがあって、中部商業っていう地元から離れてたところだから、そのタイミングがあったのかもしれない。

安里:人生何が幸いするか分からないね。

ど素人からのバンド活動

YAMATO:それまでスポーツしかしてこなかった人が経験も知識も全くのゼロから音楽を始めて。

放課後みんなやることがないから、バイトするか音楽するしかなかったんです。バイトでこき使われるのが嫌で音楽するみたいな。

そういう簡単なノリで選択したと思います。みんなコードも読めないところから練習していって、徐々に知識をつけていった感じです。

もうノリだけで始めた感じですね。

金谷:そこでいきなり高校生の時から売れていくわけじゃないですか。何が要因でそういう風に売れたんですか?

YAMATO:答えは分からないですし答えなんてないと思うんですけど、その時のタイミングとかバランスとかが重なって生まれたのがORANGE RANGEであって。

先生も北谷高校に在籍されてたんですけど、当時音楽とかバンドとかいっぱいいましたよね。

安里:芸能人が多いからね。

YAMATO:僕は中部商業なんですけど、北谷高校に行くとバンドをやってる人が多くて。学校終わって放課後に街に出ると他校の人も一緒に集まってイベントをしたりして。

コザの小さなライブハウスを借りてみんなで一緒に音楽をしてましたね。コザと北谷はそういう、音楽とスポーツが濃ゆい街というか。

 

何より沖縄のために

金谷:テレビズナイト、これは19年やってるんですか?

YAMATO:そうですね、僕たちが学生の頃からイベントを自分たちで立ち上げて。

当時、沖縄市にクラブピラミッドってあるんですよ。僕らの親世代がディスコとかでやってた時代なんですけど、ちょうど僕らもギリギリライブで使わせてもらって。

夜はクラブとして使ってて、僕らは学生なので明るい時間に開けてもらって、スケボーを入れたりBMXを入れたりダンスを入れたりして。

音楽を通して様々な楽しみ方があるよっていうのを伝えたくて立ち上げたのがテレビズナイトというイベントになります。

1日中、音楽を通して様々な楽しみ方ができたらいいなって。

「音楽はこうあるべき」みたいな言葉が一番嫌な時期だったんですよ。音楽って自由だよねって言葉って簡単なようで実際は難しくて。

実際にやってみたら、こんなにも音楽にこだわり持ってる人がいっぱいして、全然自由じゃないじゃんって思ったりして。

「もっと楽に考えたほうがいいよー」って伝えることはできても、僕たちの場合はすぐに否定されたりするので。なんとかライブを通して伝えれたらいいなと思って、今も年がら年中ライブはしてますけど。

金谷:2020年は沖縄市に沖縄アリーナが完成するんですけど、やっぱり何かしらやりたいですね…

YAMATO:やりたいですね。何より僕たちは沖縄のためにやりたいんですよ。

テレビズナイトは県外からもいっぱいお客さんが来てくれるんですけど、音楽を通していろんな楽しみ方があるということを特に沖縄の方にいっぱい伝えたいんです。

沖縄になかなか来れないアーティストを沖縄の人にも見て感じてもらいたいということで、県外アーティストも呼んでます。

なるべく沖縄には恩返しできるように、ずっとやって行きたいですね。

安里:デビューから20年ずっと仕事をしてて、いつもワクワクします?

YAMATO:もちろん波はありますよ。めちゃくちゃやりたくないなって時期もありましたし、今こうやって20周年めがてやってるように目標に向かって走ってるのが楽しかったり。

そういった波はあるんですけど、なかなか経験できないことを経験させてもらってるので、どうにかこれをライブと音楽を通してたくさんの方に発信できたらなと思ってます。

安里:やっぱり僕らもそうなんですけど、翌日早くコートに立ちたいとかステージに立ちたいっていうワクワク感が大事。そのためには準備が必要なんですよ。

この気持ちを年に何回持てるかが勝負なんだから。

YAMATO:来週から始まるツアーに向けて勝手にキャンプしたつもりでジムに行ったり、1人でカラオケボックスに行って4時間歌ったり。

才能はどこに眠っているか分からない

金谷:それぞれ最後に一言頂いていいですか?

安里:YAMATO君がいかにしてここまでできたか。やっぱり1人で練習して来た集中力。徹底して練習する、負けたくないと言う気持ち。

ヤンチャをするくらいがちょうどいいの。それくらいの気持ちがある奴が将来成功する。

だから自分の子供が好きなことは徹底してやらせたほうがいい。どこに才能があるか分からないから。

授業中、居眠りばかりしてたやつが大人になって大成功することもいっぱいあるから。やっぱり集中力、負けず嫌いがちょうどいい。

だからそれを皆さんの子供にもさせて欲しいし、伸ばして欲しい。

長嶺:同じコービーが亡くなった時は本当にショックで、会社に行ったらみんなコービーを知らない人ばかりですごく寂しくて。なのでYAMATOさんが少しだけ話してくれたコービーの話が本当に嬉しかったです。

YAMATO:コービーが亡くなった時、僕の周りが全然話題にしてなくて。最近は八村選手とかの活躍で日本もNBAと近づいたと思うんですけど。

コービーが亡くなった時のニュースとかは全部見たんですけど、ショックだったのがカタカナで『コビー』って書かれてて「こんなにもコービーを知らないんだ!」って。

どのニュースも「コービー」の由来は神戸牛から来てるって言う前振りばかりで、NBAのこととか歴史のことに触れていないのが本当に悔しかったですね。

長嶺:この話、あと12時間くらい話したいですね。

安里:それこそ、月バスの初代編集長の島本さんと呼んだら話が止まらないね。

金谷:そんな機会も作りたいですね。

YAMATO:作りましょう!ぜひ!

◆ORANGE RANGEがデビューから19年間続けている音楽イベント『テレビズナイト』の公式サイトはこちら:https://televisnight.com/020/

◆今回のYAMATOさんの記事も掲載される沖縄のバスケ情報誌OUTNUMBER最新号の予約はこちら:https://outnumber.thebase.in/items/26751640

(記事:伊東純平・撮影:照屋 勇人)

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この記事を書いた人

1993年 / 和歌山出身 / 沖縄歴5年目 / バスケ初心者 /FOCUS OKINAWA編集長

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