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OUTNUMBER RADIO #68  「なぜバスケットは世界一の競技人口を誇るのか」

7月10日のOUTUNUMER RADIOは、バスケットボールという競技を考案したジェームズ・ネイスミスについて1時間お届け致しました。バスケットボールの競技人口は約4億5000万人。世界で最もプレーされているスポーツです。世界第2位のサッカーは約2億5000万人。いかにバスケットが世界中の人たちに愛されているかが分かりますね。

「なぜバスケットは世界一の競技人口を誇るのか」を一冊の本『バスケットボール物語~誕生と発展の系譜~』(水谷豊・著)を元に紐解いていきます。「バスケットボールとはそもそもなんぞや」ということをしっかり押さえておくと競技人口が世界一となっている理由が垣間見えます。

バスケットボールの考案者:ジェームズ・ネイスミス

バスケットボールは、起源が明確に記録として残っています。世界で初めてプレーされた日は、1891年12月21日。場所はマサチューセッツ州のYMCAトレーニングスクールの体育館でプレー人数は9対9で行われます。考案したのが、ジェームズ・ネイスミスというお方です。

ジェームズ・ネイスミス(1869.11.6ー1939.11.28) 

カナダ・オンタリオ州生まれ。両親ら一族はスコットランド・グラスゴーからの入植移民。 姉と弟の5人家族。春夏は農業、雪に覆われる冬場は伐採・搬出の仕事で 生計を立て、日曜には教会で祈りを捧げる敬虔なクリスチャン一家でし た。9 歳の時に両親を亡くします。母方の叔母アンと叔父ピーターと生活をすることになりますが 11歳のときには祖母 アンが他界 。ピーターの仕事を手伝う形で、農業、伐採でお金を稼ぐようになっていましたが、 『人生このままで良いのか?』 と自問するようになり、 『自分のように逆境に置かれた人に 手を差し伸べられるような牧師になりたい』 と20歳で高校に復学し、2年後の22歳でマッギル大学へ進学します。 ジェームズ・ネイスミスは相当な人格者であることが伺えます。

大学で出会ったスポーツ

 先輩より身体を動かすことを進められて、運動に興味を持ち始めます。ある時アメリカンフットボールの練習を見ていると、負傷者が出たため『誰か代わりに入れませんか?』というので、 誰も申し出なかったため、ネイスミスが名乗りでます。そこから他大学との試合にも出場し、次第にアメリカンフットボールに魅了されていきます。 若いうちに両親を亡くし、逆境を乗り越えてきた精神力と農業と木の伐採で培った強靭な肉体でマッギル大学の重鎮選手となりました。 

人間成長、人格形成に果たすスポーツの力確信していたネイスミス

マッギル大学卒業後は3年制の神学校へ進み卒業し牧師の資格を得ます。当時の神学校では 『スポーツは人を堕落させるもの』とみなす風潮がありました。母校マッギル大学でフットボールを続けていたネイスミスに対して周囲の人たちはあまり良く思っていませんでした。 しかし、ネイスミスはぶれる事なく

『磨きあげた素晴らしいテクニックを発揮し、クリーンなプレーに徹することができる者は、ほかのプレーヤーの模範となる。そればかりか、若 い人々に良き市民になることを教え、社会への貢献の尊さを学ばせ、人間としての幸福を理解させることができる』

という信念を貫いていました。神学校卒業後はさらに体育を学びたいとの思いから、マサチューセッツ州スプリングフィールドのYMCAトレーニングスクール、国際YMCAトレーニングスクール体育部担当スタッフ養成科(1年制課程)に進学します。 この地点で 『若い世代の人々がスポーツに打ち込んでいるなかで、たとえ“堕落した世界”に 落ち込むことがあっても、スポーツというものは最後には必ず彼らを好ましい方向に導いていく』 と確信していました。 

YMCAトレーニングスクールでの学科長L.H.ギューリックとの出会いはネイスミスにとって大きな出会いとなりました。『 人生で感化を受けた数少ないうちのひとりで、どのような仕事に携わっていくべきかということだけではなく、自分の生き方そのものに計り知れない示唆を与えてくれた人』 と述懐しています。1891年6月にYMCAトレーニングスクールを卒業、 9月から同スクールのインストラクターに採用されます。

バスケットボールの誕生

YMCAの体育講師を対象とした講習会で、 『体育館で行う冬季講座に来ている会員たちは、 体操中心の内容にまったく関心を示さなくなっている』 という苦況の声が多く寄せられていました。1870年代からアメリカでは、陸上やアメフトは大学対抗戦が行われ、人気の1.2を争う人気スポーツとなっていました。 対して、冬季の屋内スポーツの物足りなさを感じ学生たちは露骨に不満を示すようになっていた 。 体操にとってかわる新しいゲームが必要で冬までに準備しなければず、毎週のように検討会を開くも『新しいゲーム』はなかなか浮かばびませんでした。ラフプレーのやりあいになり、怪我が続出するのが容易に想像できたアメフトは断念。サッカーを試すも、あっという間に窓ガラスが割れた。ラクロスも駄目だった。

タックルの禁止

ネイスミスは自身がプレーしているアメリカンフットボールからヒントを得ます。フットボールはボールを保持している限り、フィールド内を自由に位置移動ができます。それを止めるにタックルが許されておりそのためラフプレーが絶えない。 では位置移動を禁止したら、タックルする必要がなくなるのではと考え、→位置移動を禁止してタックルを不要とし、接触を無くしました。 

パワーよりもコントロール

サッカーやラクロスでは、垂直面(垂直なゴール)の前にキーパーを立たせています。シュートの成功率を上げるためにプレーヤーは力を込めて蹴ったり、投げ入れます。その反面シュートを阻止するためシューターへのラフプレーが起こりやすくります。→ ゴールを高い位置に設定し、パワーよりコントロールを重視しました。 

そのころのYMCAの建物には、たいてい2階にはバルコニーがありウォーキングで1周できるようになっていました。そこに桃の籠を打ち付けてゴールとして設置しました。その高さが3m5cm。現在のバスケットのリングの高さはYMCAのバルコニーの高さが由来となっています。

バスケットボールの誕生

試行錯誤を経て創り上げたバスケットボール。世界で初めての試合が、1891年12月21日にネイスミスの授業において行われました。受講する生徒は18名だったため、2チームに分けて、9対9で行いました。普段からタックルが許されている接触スポーツに親しんでいたため、最初の試合ではファウルが連発。シュートも全く決まらない。試合開始からようやく、1つゴールが生まれそこで試合終了となります。アシスタントのかなさんはハンドボール経験者。ハンドボールも接触のあるスポーツということもあり、バスケットをプレーした時も「これがファウルなの?」とかなり戸惑ったそうです。当時の選手たちも同じように戸惑いやもどかしさを感じていたのかもしれません。

また、バスケットボールの最初の試合には1人の日本人「石川源三郎」が参加していました。

石川源三郎(いしかわげんざぶろう)(1866.7.27-1956.12.7)

群馬県館林出身。68年戊辰戦争で秋元藩藩士の父・喜四郎を失います。キリスト教を学ぶために20歳で渡米。プレップスクールを経て、1888年に神学校に入学。神から与えられた使命は『次世代を担う若い人々への奉仕』と思い、サンフランシスコのYMCAに 通い、YMCAへの理解を深めた。スプリングフィールドの国際YMCAトレーニングスクール の一般事業担当スタッフ養成科に1890年(2年課程)に入学した。 ネイスミスと同期入学であり、ネイスミスは1年課程で、インストラクターとして同期生の授業を受け持っていました。 絵の才能もあった石川源三郎。バスケットボールの最初の試合スケッチしたものが残っています。

なぜバスケットボールは世界一の競技人口を誇るのか

バスケットが誕生した経緯として、以下の4点は重要なポイントです。

一、ニーズから誕生したスポーツ(教育機関ではモチベーション高く取り組める冬場の屋内競技を必要としていた)

ー、後発であること(いろいろなスポーツの悪い箇所を取り除いている)

ー、屋内でも冬場でも楽しい

ー、教育機関で考案され、教育機関で始まり、教育機関で広まっていった。

2019年は八村選手が日本人として初めてドラフト指名を受けNBA入りを果たし、全国的にバスケットボールへの注目度が高まっています。その中で、私たちの住む沖縄は2023年のワールドカップの開催地ということもあり、バスケットボールがもたらす経済効果に大きな期待が寄せらています。日本で大いに盛り上がり、世界中で圧倒的な競技人口を誇っている理由はジェームズ・ネイスミスが確信していたように、『人間性や人格を形成する力』がバスケットボールに宿っているからだと思いました。

他にも様々なエピソードが『バスケットボール物語』に記されており、実に興味深い内容となっておりますので、ぜひお読みください!

【湧川太陽さんのスポーツビジネスブログ】

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【コザの裏側 2023沖縄ワールドカップ受入体制構築の話をしよう!

【街改造チャンネル~バスケットで沖縄市コザを改造~】

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