千葉ジェッツとの激戦の軌跡
——その後は西地区逆転優勝。チャンピオンシップを勝ち進み、ファイナルの相手は今季最高勝率を更新した千葉Jでした。2022-23シーズン、キングスは千葉Jと5回戦っています。まず最初の対戦になった3月の天皇杯決勝(2023.3.12)を振り返るとどんな印象でしたか?
天皇杯決勝を終えて感じたのは、千葉Jさんは個の力がすごく強くて「個」で押しつぶされた印象でした。もちろん千葉Jさんはチームとしての力もすごくありますが、そこを抑えられた時にタフショットをねじ込んできたり、1on1で得点してしまう。僕たちとしては、ひとつ抑えれば自分たちの流れに出来るところを個の力で繋がれてしまう。その部分を僕たちはチームで守りきれなかったし、打開できなかった。自分たちの形を出せずに悔しい思いをしました。
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——その数週間後にはアウェー千葉J戦(2023.4.1-2)で再び対戦。GAME1は惜しくも敗れましたが今村選手が会見で「手応えはあった」と発言したのが印象的でした。
GAME1は試合トータルではいいバスケットが出来たと思います。僕らとしては千葉Jさんの方が力は上だと思っていたので、そこに自分たちがどれだけチャレンジ出来るのか。チャレンジするという部分では手応えはあったんですが、ただディフェンスの部分で千葉Jさんのオフェンスを守りきれず、それが結果的に敗戦に繋がったと思います。
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——続くGAME2では、今村選手が最後にベースラインからのジャンパーを決めて劇的に勝利します。
自分としては、GAME2は勝利したものの、なかなか乗り切れてはいないと感じました。千葉Jさんも怪我人がいて万全な状況ではありませんでした。その状況で自分たちが苦しみながらも勝利した試合でしたが、あの時期であのクオリティだと、チャンピオンシップでは勝てない。手応えは感じつつも、どこかを変えなきゃいけない、より質を高めなきゃいけない、そう感じた試合でした。
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——そしてついにファイナルで千葉Jと対戦します。ファイナルGAME1(2023.5.27)ですが、記者会見で今村選手は「なかなか自分のプレーを出せなかった」と発言していました。
僕自身ファイナルは本当に苦しんだ試合でした。
会見でも桶谷ヘッドコーチが話していましたが、富樫選手をオフェンスで攻めることを自分たちのアドバンテージとして戦っていくかがゲームプランでした。それにより普段は僕がピックアンドロールを使う場面で、その状況では富樫選手にマークされている(小野寺)祥太さんを上手く絡めながらズレを作ろうとしていました。それが上手くいった部分もあれば上手くいかない部分もあった。
僕が欲しいタイミングでボールが来なかったり、ピックアンドロールを自分のタイミングで使えなかったり、すごく我慢をする試合ではあったんですけど、レギュラーシーズンも何回かそういうシチュエーションはあったので、自分がここで折れてしまってはダメだ、どこかで必ず自分の時間帯が来ると思っていたので、それを待っていた試合ではありました。
——GAME1はオーバータイムに突入。最初のオーバータイムで今村選手は最後のシュートチャンスでパスを選択してしまいます。
すごい悔しさがありました。試合のクロージングで桶さんが「チャンスがあれば好きにシュートを狙っていい」と僕にボールを託してくれたシチュエーションでした。自分が打てたタイミングではあったんですけれど、自分の中でちょっと(他の選手が)オープンになったのが見えてしまったので、結果的にパスをしてターンオーバーに繋がってしまいました。
それが自分としては「なんで自分が打たなかったんだろう」と今でも非常に悔しくて、それは新シーズン自分自身が克服していかなきゃいけない部分だと思っています。
——その悔しさを胸に、ダブルオーバータイムではファイナルの歴史に残るようなプレーを見せてくれました。
これで負けてしまったら本当にやるせないという感情があったので、ダブルオーバータイムはもう自分が全部決めるつもりでプレーしていました。それがチームとしても良いリズムでプレーできた要因になったと思うので、自分としてはエゴを出して良かったです。
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——GAME1に勝利した事で、GAME2も勝利できるというような雰囲気がチームにありました?
ダブルオーバータイムでああいう勝ち方ができて、負けたチームはすごく大きなダメージを負うので、その点では自分たちにとって大きな一勝だとは話していたんですが、試合が終わった瞬間から「one more, まだもう一個ある」という言葉がチーム全員から出ていました。
何も満足していませんでしたし、ここで緩んでしまっては逆に喰われてしまう。いけるという雰囲気は感じつつも、慢心せずにすぐ次に繋げようと話していたのが、結果的に優勝に繋がったと思っています。
——そしてGAME2で勝利。優勝の瞬間をコートで迎えた時の気持ちは?
自分の人生の中でも本当に特別な瞬間でした。「言葉にならない」ってよく言うじゃないですか。そんなことないだろうと思ってたんですが、優勝した瞬間は本当に言葉にならなかったですね(笑)。
特にその前のシーズンで準優勝を経験した選手が多かったので、その悔しさをファイナルの舞台で晴らすことが出来たのは嬉しかったですし、ファンの皆さんの方を向いた時に、みんな笑顔で嬉し涙を流しているのが見えました。
その前のシーズンは皆さんに悔しい思いをさせてシーズンを終わらせてしまった。それをファンの皆さんが笑ってシーズンを終えることが出来て、選手やスタッフが笑顔で泣き崩れている姿を見ることが出来て、本当にここまでやってきて良かったと達成感を感じました。
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地元 新潟への思い
——今村選手の選手キャリアの中でも全国優勝は初です。今村選手はご自身の地元である新潟で学生時代の選手キャリアを積んできて、プロの世界で初めて全国優勝を成し遂げた事は、バスケットボール界にとってどういう意味があると考えますか?
今までの僕のバスケットボールキャリアは、学生時代も含めて日本一やそういうタイトルには程遠い人生を送ってきていて、特に学生時代は県ベスト8にいけばいいくらいのチームで、高校では県2回戦で負けています。
そこからプロになれる選手っているのかなと自分でも思うぐらいのキャリアですが、その中でも自分ひとりでここまで来れたとは思っていないですし、周りの指導者や仲間や友達、その環境にすごく恵まれてきた人生だなぁと感じます。
地方大学の選手は、プロになるためにすごく試行錯誤しながらも、それでもやはり見てもらえない現状を僕は知っています。簡単なことは言えないですけれど、それでも自分が信じてきたことをやり続けて、足りないものを補い、長所である部分を活かし続けて、ひたむきにバスケットボールに打ち込んでいれば、こういう舞台にも立って優勝も出来るんだよということを自分が証明できたと思っています。
地方の子ども達や学生達にも夢や希望を持ってもらいたいということは、自分自身のキャリアを通して掲げていることでもあるので、それを優勝で証明できた部分はあると思っています。
(地元の)新潟に帰ったときは、母校の新潟経営大学に顔を出して練習参加もさせてもらっています。大学のヘッドコーチは僕も指導を受けた恩師で、その母校でプロ志望の選手や学生たちと他愛もない会話もしながらコミュニケーションを取って、(地方大学の)現状を聞いたりはしています。
僕自身はもっと色々やりたいし、大学だけではなく母校の長岡工業高校だったり、中学校やミニバスにも行きたいんですが、やっぱり沖縄に来てからは距離的にも遠くてなかなか難しくて。そういった難しい部分もありますが、自分としては恩返しとして地元へ関わりを持っていきたいですし、キャリアを終えるまでずっと、終えてからも何か出来ればいいなと考えています。
——キングスは南端の沖縄にあるチームなので「内地に勝つんだ」という気持ちが大きいと思いますが、今村選手の「関東の大学に負けない」というキャリアのルーツと被る部分はありますか?
大学時代は関東の大学に勝つことを目標にしていましたし、(関東の大学に)勝たないと自分たちの目標には辿り着けないと感じていたので、大学時代の4年間はすごく意識していました。
僕が沖縄県出身ではないので沖縄の方々の気持ちを完全に理解するのは難しいですが(笑)、キングスに来た時点でどこのチームにというより全部のチームに負けたくないという気持ちでプレーしています。僕がキャリアを続けていく上でも、そのハングリー精神は絶対忘れたくない。それこそが僕だと思っているので、その部分は変えたくないですし、変えずにやっていきたいです。