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"第二のホーム" 有明への思い

琉球ゴールデンキングスと横浜ビー・コルセアーズ。共にbjリーグを戦ったチーム同士であり、両チームともにbjリーグ優勝経験があるチームだ。有明コロシアムへの思いは誰よりも強い。

 

横浜BCの青木勇人HCは、琉球ゴールデンキングスがbjリーグで初優勝した2008-09シーズンに在籍した選手だ。彼は現役時代キングスに在籍したヘッドコーチとして、初めて沖縄アリーナで指揮を執った人物となった。

 

青木HCは思い出の地である沖縄で、オールドファンを感動させる熱戦を見せてくれた。試合後、青木HCはファンに向けてこう語ってくれた。

「今日沖縄アリーナに足を踏み入れた時、ものすごく感動しました。色々な方の気持ちが集まってこのアリーナの空間が出来ている。キングス1年目から支えてくれた方々、負けている中でも信じて応援してくれた方々、そんな色々な思いが集まった空間だと思います」

「あんな選手がいた、こんなことがあったと、ずっと応援して下さる方々から代々受け継がれて、それがチームのヒストリーになると思います。ぜひこれを孫の代まで、100年先まで皆さんで繋いでほしい。さらに日本中にこんな空間が生まれ、日本中にバスケットボールの素晴らしさを広げてもらえたらと思います」

 

 

キングスの桶谷HCは、キングスbj初優勝時のヘッドコーチ。当時、桶谷大と青木勇人は同じタイミングで大分ヒートデビルズからキングスへ移籍してきた。

桶谷HCも「勇人さんと僕は一緒に沖縄に来て、その年にbjで日本一になった。沖縄でこうやって天皇杯の準決勝を戦う相手が、勇人さんで本当に良かった」と苦楽を共にした相手との熱戦を振り返った。そして「僕は個人的には『有明に行きたい』という気持ちがあって、今日は絶対に勝つという覚悟で会場入りした」と桶谷がヘッドコーチとして初めて頂点に立った有明への決意を語った。

 

 

bjリーグ時代の優勝を知る唯一の選手となった岸本隆一。岸本はbjリーグ2013-14、2015-16で2度の優勝経験がある。

日本人チーム最年長の32歳となった岸本。この日はチーム最長の31分の出場時間だったが「今日は負担のかかる選手をヘルプする役割だったので、出場時間ほど負担は無かった」と、背番号14はベテランらしく淡々と語った。

 

岸本が自身bj初優勝となった2013-14シーズン当時、まだ新人ということもあり、今よりずっと若々しく『やんちゃ』な印象だった。あれから約9年。年月を積み重ねて岸本は成長してきた。

「成長出来てたらいいんですけど(笑)、色々な事がある中で、少なからず当時よりは受け入れる力というか、状況を把握して、自分の個人的な感情を抜きにして、ゲームにおいて何が出来るのかを考えるところは、キャリアを重ねて成長出来ている感覚はあります」

 

「(有明コロシアムは)琉球ゴールデンキングスにとってはホームのような感覚で試合できる場所の一つだと思う」と語る岸本。岸本はプロキャリアを通じて有明コロシアムで戦った試合は勝率100%だ。沖縄から詰めかけたファンの大声援に後押しされて、"第二のホーム" 有明コロシアムで名勝負を繰り広げてきたキングス。

 

岸本は、あの頃と同じように決勝の地へ詰めかけてくれるであろうファンへこう語ってくれた。

「僕が有明にすごく相性が良いのも、たくさんの方々がその場所に足を運んでくれてキングスを後押ししてくれるからこそです。出来る事なら(決勝の)有明をホームのように戦えたらと思っています。色々な人の思いを受けて、決勝当日はしっかりと責任を持ってプレイしたい。一緒に戦っていただけたらと思います」

 

やんちゃな笑顔で優勝の喜びを爆発させたあの頃から年月を重ねて、背中でチームを引っ張る選手となった岸本。

"第二のホーム"で再び日本一になる事が出来た時、背番号14はあの頃と同じような笑顔で喜ぶはずだ。

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