闘志を前面に出してプレーをすることがキングスのアイデンティティー

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千葉との2試合で見えた改善 キム・ティリのアジャスト

4月29日、5月5日の千葉ジェッツ戦からの学びをCSへつなげることが重要

29日の千葉戦ではスリーポイント4本を含む14得点を記録したキム・ティリ。しかしながらレフェリーの笛に苦しみファールアウトし、プレータイムはたった13分29秒にとどまった。その試合後の会見では「千葉には身体をぶつけてフィジカルにプレーしてくる選手がそろっているからです。自分も負けないように身体を当てて応戦すると笛が鳴ってしまうという部分で、試合を通してアジャストするのが非常に難しかった。ファールトラブルで自分のプレータイムを制限しなくてはいけなくなったことは、改善しないといけないポイントだと思っています」

インサイドだろうがアウトサイドだろうが、ボディーコンタクトが必要なのはバスケットボールではあたり前のことである。しかし日本よりも高さのあるヨーロッパを外角のシュートを武器に渡り歩いてきたティリは、基本的にはアウトサイドのプレイヤーにつくことが多かった。初めての日本では、主にインサイドディフェンスでの役割が求められる。

5日の千葉との再戦では、GAME1からの確かな改善がみられた。延長戦も含め32分32秒出場し10得点を記録。特筆すべきは個人ファールを3におさえながら11リバウンド。マッチアップするダンカンの保持するボールを掴み、ジャンプボールシチュエーションに持ち込んだ。笛が鳴った後にボールを離さずにダンカンからもぎ取ったシーンに、観客からは大きな拍手が送られた。一つ一つのポセッションを勝ち取るためのプレーが、勝利につながるきっかけになる。インサイドでのディフェンスとスリーポイントで、キングスに勝利をもたらすティリのパフォーマンスがCSで勝ち進むための鍵となりそうだ。

 

CSでは3&インサイドDで、キングスに勝利をもたらす

CS浮沈のカギを握る#41キム・ティリの千葉ジェッツ戦を終えてのコメント

Q、今日はジャック・クーリー選手が欠場で、スタートでの出場になりました。ベンチスタートではなくて、スタートで出ることでのやり易さはいかがだったのでしょうか?

 スターターとしていつもとメンタル的にだったり、やることを変えたとかは全くありません。自分がやれること、やらないといけないことにフォーカスをして、その中で自分たちキングスのバスケットボールが良い流れを生んで、良いスタートをきれたと思います。一人一人がアグレッシブなディフェンスをして、オフェンスではボールを動かすキングスらしいゲームのスタートをきることができたと思います。 

Q、CSに向けて、クーリー選手がコートに不在の状況でいかに戦えるかは非常に重要になると思いますが、今日はプレーしてみていかがだったのでしょうか?

 本当におっしゃる通りクーリー選手がいないということで、本当にこういう状況もあるかもしれないので、それをプレーオフのために仮想して戦えたことはとても良い収穫でした。その中でクーリー選手がいない時にさらにアグレッシブなディフェンスをしたり、いろんなディフェンスの戦術を試すことができた試合でした。そして千葉という素晴らしいチームに対して、本当に試合を通してファイトし続けられたことをとても嬉しく誇りに思います。今日試したディフェンスが、プレーオフに役立っていくと思うので、チームとして成長できたいい試合だったと思います。

Q、 何度も球際でヘヘルドボールになる争いがあり、ものすごくファイトしているように見えたのですが、やっぱりいつもとは違う意気込みで臨まれていましたか?

 クーリー選手がいないということもあったかもしれないけど、キングスのバスケットボールはそういう泥臭いところ、ルーズボールやリバウンドのところでボールを掴んだら離さない、そういう闘志を前面に出してプレーをすることが自分たちのアイデンティティーだと思うので、そういう部分では先ほども言ったんですけども、最初から良いスタートをきれたんじゃないかと思います。それはクーリー選手が戻ってきたからといって無くなるものではないし、クーリー選手が戻ったら、さらにファイトする部分を高めていけると思っています。なのでプレーオフまでの試合を通じて、チームが成長するためにしっかりとした学びのある試合を毎試合していくことが自分たちのプレーオフに対しての準備と成長につながり、プレーオフで良い結果につなげていけるのではないかと思いました。今日のルーズボール、ファイトする場面は本当によかったと思っています。

ティリはこの試合32分32秒の出場で10得点11リバウンド。

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この記事を書いた人

1983年11月5日生。東京都豊島区出身。那覇市在住。母が那覇市出身で2015年に沖縄移住。沖縄バスケットボール情報誌OUTNUMBERゼネラルマネージャー。
中学2年生のウインターカップ(1997年)で、当時圧倒的な強さを誇っていた能代工業を追い詰める北谷高校の勇敢な戦いぶりに衝撃を受け、以来沖縄のバスケットボールを追いかけるようになる。野球やサッカーに並ぶように、バスケットボールのジャーナリズムを発展させていくことを目指し、2018年10月にOUTNUMBERを創刊した。
2020年にはOUTNUMBER WEB、OUTNUMBER YOUTUBEを運用開始した。

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