“Bユース第一世代” として「B.革新」への自覚と責任 大森 康瑛インタビュー [2026.07]

大森 康瑛選手。194cmという日本人としては恵まれたサイズと、高いシュート力を兼ね備えた若手選手の一人であり、Bクラブのユースチーム出身のプロ選手でもある。都内有数の中高一貫進学校に通いつつBユースチームでも活躍し、「文武両道」の体現者としても注目を集めてきた。

まだ21歳という若さながら、様々な経歴を持つ大森選手。Bリーグが「B.革新」という新たなステージへと進もうとしている現在、新時代を担う一人になるであろう彼は、今、何を考えているのだろうか。

今回、大森選手に “プロバスケ選手” “Bユース第一世代” “沖縄” というテーマで話を聞いた。

大森 康瑛(おおもり こうえい)
2005年6月29日生まれ。194cm/86kg スモールフォワード

麻布中学校・高等学校という有数の進学校に通いつつ、サンロッカーズ渋谷U15、U18とBクラブのユースチームに所属して、チームの中心選手として活躍。世代別日本代表候補選手への選出やB.LEAGUE U18 ALL-STAR GAMEに2年連続選出されるなど、BリーグU18カテゴリーを代表する選手に成長。

2024年2月にユース育成特別枠選手としてトップチームに昇格。そして2024年6月5日、Bリーグ初となるU22枠選手契約を締結。SR渋谷ユース出身選手として初のプロ契約選手となった。

プロ2年目となる2025-26シーズンは、SR渋谷にてレギュラーシーズン25試合に出場。初のフィールドゴールを決めるなど、成長を感じさせるシーズンとなった。

2026年6月29日、サンロッカーズ渋谷(2026-27シーズンより東京サンロッカーズ)とのU22枠選手契約を継続しつつ、B.ONE 山形ワイヴァンズへの期限付き移籍が発表された。

目次

“プロバスケ選手” 2年目の手応えと、新たなる挑戦

— 2025−26シーズンはプロ2年目で出場機会も徐々に増えてきました。ご自身で振り返ってみていかがでしたか?

大森:2025-26シーズンの前にオーストラリアNBLで経験を積む機会をいただき、プロ2年目は1年目に比べて、個人としての成長を実感できました。ただ、チームが苦しい状況下で、自分がステップアップして主力としての役割を担えなかったことは、正直、悔しかったです。

— チームが苦しい状況の際、どのように貢献しようと考えていましたか?

大森:主力メンバーが怪我などで苦しい時間帯に、控え選手がステップアップしてスタメンを休ませるようなプレーが必要でした。

ヒサさん(山内盛久選手)が「僕らがベンチから主力メンバーを後押ししなければいけない」とよく声をかけてくれていました。実際にヒサさんは、チームが苦しい時間帯でも自身のプレーで流れを引き寄せていました。そんな姿を見ていて、僕もそういうプレーがしたいと強く感じました。

— 1年目と比べて成長を感じた具体的な点や収穫は?

大森:ディフェンス面では自分でも手応えを感じられました。オフェンス面では限られた出場時間の中でも、3ポイントやフローターショットなど、確率良く決められたことが収穫です。

— ご自身の武器や現在の目標とするプレースタイルは?

大森:自分にはある程度のサイズ(フレーム)があるので、それを活かしたドライブやジャンプシュートなど、プレーの幅を広げるワークアウトを実践しています。

昨季はフリーの状況でシュートを決め切ることはできましたが、インサイドへ切り込んで決める際のフィジカルの重要性を痛感しました。次のシーズンはそこを改善したいと考えています。

— ディフェンス面では、国内外のウイングプレーヤーとのマッチアップが増えた印象です。

大森:プロ1年目の2024-25シーズンは、当時のルカ・パヴィチェヴィッチHCから「フィジカルでコンタクトし続けること」の重要性を言われてきました。

当時は頭で分かっていても、フィジカル面の強化が足りずに実践できていませんでした。ですがプロ2年目の昨季は、少しずつプロのスピードやフィジカル強度に慣れることができました。

チームの戦術を理解した上で、自身のフィジカルを活かして相手にやりたいプレーをさせないディフェンスができたことは大きな収穫でした。新シーズンも外国籍選手とのマッチアップが多いはずです。そこで相手の嫌がるディフェンスができるかどうかが、選手としての価値向上に繋がると信じています。

— 山形ワイヴァンズ(B.ONE)への期限付き移籍が決まりました。今の心境は?

大森:昨季は成長の手応えを感じた反面、試合に出られなかった悔しさがありました。山形ワイヴァンズの一員となり、新しい環境で新たな役割を与えられ、自分の力を最大限に試せることは非常に楽しみです。

コート内でのプレーに不安はありませんが、東京を離れての山形での生活は少しだけドキドキしています(苦笑)。でも、プロ選手として成長を止めないよう精一杯努力していきます。

“Bユース第一世代” としての自覚と責任

— サンロッカーズ渋谷ユース(U18)に入団した頃は、Bリーグユースもまだ始まったばかりでした。

大森:SR渋谷U18に加入した1年目(2021年度)は、チームが立ち上がって日も浅く、当初は5人でのスタートでした。5対5の練習すらできない時期もありました。Bリーグのユース大会も始まったばかりで、先の見えない不安があったことを覚えています。

— そういった環境の中でも、Bユースでの活動を選んだ理由は何だったのでしょうか?

大森:僕は中高一貫校に通っていたので、学業も行いつつ高いレベルでバスケットボールをプレーしたいという気持ちがありました。

「高校部活」いうカテゴリーとは別の「Bユース」という高いレベルでバスケットボールをプレーする環境が、僕にとっては大事でした。

「Bユース」という環境でバスケットボールを続けられたことに非常に感謝しています。その与えられた環境の中で「バスケットボールをもっと上手くなること」が一番の目標でした。

また、Bユースには多様なバックグラウンドを持つ仲間たちがいました。そんな彼らと一丸となって、一つの目標を目指すのはすごく楽しかったです。

学業とバスケットボールの両立、そして多様な仲間たちとの出会いもあり、僕の世代にBユースが立ち上がったのは本当にありがたかったです。

— 確かにバスケ強豪校では得られない経験ですね。ユース時代のチームメイトはどんなバックグラウンドがあったんですか?

大森:ユニークな仲間たちばかりで、バスケ以外にも関心を持つ多様な仲間が集まっていました。音楽を志してラッパーになった人もいれば、オックスフォード大学への進学や、イタリア、中国へ渡る人もいました。様々な目標を持つ仲間と一緒にバスケができたのは、高校の部活にはないユースの大きな良さだと感じています。

— ユースからトップチームへ加入して「プロ選手」とプレーした最初の印象は?

大森:レベルの高さに驚きました。当時のルカHC体制は規律が厳しく、ミスは許されない環境でした。練習時間はユースより短いものの、ピリッとした緊張感があり、プロの強度やスピード、そして「練習の質」を理解できたことは大きな経験でした。

— 次のシーズンからはBプレミア、Bワン、Bネクストと新しいリーグ体制になります。若手選手にとってはドラフト制度の導入など、環境の変化も大きくなります。

大森:大きな変化には様々な意見があるとは思いますが、競技レベルは間違いなく上がるはずです。国内で海外リーグと肩を並べるような非常に強度の高いバスケ環境ができることは、いち競技者として大きな目標になり、良いことだと思います。それが日本人の強化にどう繋がるかなど、始まってみないと分からない部分もありますが、開幕がすごく楽しみです。

— 今後のBリーグでは「Bユース出身選手」の存在価値がより大きくなると思われます。「Bユース第一世代」として、自身の選手としての強みや価値をどう感じていますか?

大森:プロ選手として長くキャリアを続けるには、バスケットの技術だけでなく、人格やオフザコートでの振る舞いが重要になります。ユース時代にキャリアに関するカンファレンスや講義を経験できたことは、競技面以外での自身の強みになっていると感じます。自分がもっとプロ選手として活躍することで、ユースの価値を広めていきたいです。

“沖縄” との繋がり

サンロッカーズ渋谷でチームメイトだった山内盛久選手、ジャン・ローレンス・ハーパージュニア選手という沖縄出身選手。そしてオーストラリアNBLへ共に派遣された佐取龍之介選手(琉球ゴールデンキングス)など、大森選手と沖縄との繋がりについて聞いてみた。

— サンロッカーズで共にプレーした山内盛久選手は、大森選手にとってどんな存在でしたか?

大森:ヒサさんは、オンコートでもオフコートでもチームに必要な事を全て実践するような、まさに「どのチームにも必要とされる」ような素晴らしい選手です。

チームが連敗している苦しい状況や、ヒサさん本人の出場時間が限られる時期でも、若手と一緒にワークアウトしながら「チームの連敗を止めるには俺たちの力が必要だ」と前向きに鼓舞してくれました。

一回り以上歳が離れていたら、普通は近寄りがたい存在になりそうなものですけど、ヒサさんは僕にもとてもフランクに接してくれて、気軽に色々質問したり話す事も出来るような空気感には本当に救われました。

山内 盛久選手

— ジャン・ローレンス・ハーパージュニア(JJ)選手との仲も深いそうですね。

大森:JJ(ハーパージュニアの愛称)が2024年に特別指定で加入した時からの仲です。

一緒にルカHCの指示する特別メニューを「シンドイな(笑)」と言いながらこなしたり、練習終わりに彼の自宅でのんびり過ごしたりもしました。

JJは新人賞を獲得するなど、選手として大きくステップアップした一年でした。僕自身が将来的にポジションアップしてガードに挑戦する事を見据えた時に、JJの手足を活かしたボールキープ、ドライブ、ディフェンスなどは学ぶべき点が多いと感じています。

ジャン・ローレンス・ハーパージュニア選手

— Bリーグの国際派遣プログラムでともにオーストラリアNBLへ派遣された佐取龍之介選手とは、どんな関係ですか?

大森:佐取とはユース時代に対戦経験はありましたが、当時はそこまで深く話す機会はありませんでした。

そんな二人が、オーストラリア派遣ではいきなり3ヶ月間の同居生活でした(笑)。海外でともに生活をしていくことで、一人の人間としてすごく仲良くなりました。龍之介は全く英語が話せないのに、現地に飛び込んでいく度胸や、明るく楽観的な性格に精神的にとても助けられました。バスケットでも切磋琢磨し合える、良い友人であり良きライバルになりました。

佐取 龍之介選手

“自分の興味を止めない人間” になりたい

Bユース出身の第一世代であり、文武両道を目標に掲げつつ厳しいプロバスケの世界に挑戦する大森選手。最後に、彼の描く「キャリア像」はどんなものか聞いてみた。

— 今後の選手としての目標、さらに人生における今後のキャリア像はどう考えていますか?

大森:ぼんやりとしたイメージですが、ひとりの人間として「自分の興味を止めない人間」になりたいです。

今はバスケットボールに一番情熱を燃やしているので、プロ選手としてひたすら打ち込み、日本代表として世界と戦う舞台に辿り着きたい。

バスケットボール選手としてキャリアを終えた後は、自身の中にある様々な「小さな興味」をもう一度見つめ直して、その時に一番大きくなったものに沿って、次の人生のキャリアを決めていければ。そんなふうに考えています。

(写真・文:湧川太陽)

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この記事を書いた人

沖縄バスケットボール情報誌アウトナンバー編集部 │ #琉球ゴールデンキングス 試合レポートなら #OUTNUMBER │ 沖縄県U18、U15、ミニバス情報も発信中です

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