アンソニー・マクヘンリーはキングスにとってどんな存在だったのか

アンソニー・マクヘンリー

2008年、ジェフ・ニュートンがアラバマから連れてきたこのバスケットボールプレイヤーは、その万能性でどんな対戦相手に対してもキングスに優位性を与えてくれました。

ヘルプディフェンス、ボールプッシュ、フロアバランス、必要ならば得点も。

必要な時に必要な事を的確にやってくれる選手。

決して派手なプレイヤーではないこの選手。

その後2016-17シーズンまで通算9年間、マックはキングスの基礎となってくれました。

そして2017年5月22日、マックはキングスを離れ、当時B2信州ブレイブウォリアーズの一員となります。

2020年11月14日、そのマックが信州をB1に導き、ついに対戦相手として沖縄に帰ってきます。

アンソニー・マクヘンリーはキングスにとってどんな存在だったのか、すこしだけ昔の話をしましょう。

マクヘンリーのシーズンスタッツ(キングス在籍時)

シーズン 試合 得点 アシスト リバウンド
2008-09 (bj) 49 15.5 4.7 8.3
2009-10 (bj) 49 12.4 5.0 6.7
2010-11 (bj) 50 11.1 3.1 6.4
2011-12 (bj) 52 11.9 2.8 7.3
2012-13 (bj) 50 16.1 3.1 9.7
2013-14 (bj) 48 13.3 3.2 7.4
2014-15 (bj) 51 12.4 3.3 7.4
2015-16 (bj) 50 10.3 3.6 8.7
2016-17 (B1) 60 7.9 1.8 6.4

参照:Basketballnavi.DB

マックはシーズン平均得点で20点を超えた事はありません。

オールラウンダーと呼ばれていますが、トリプルダブルを連発するような選手でもありませんでした。

得点王やリバウンド王のような個人スタッツのタイトルを撮った事は1度もありません。

でもマックはキングスに絶対に必要な選手だったのです。

マクヘンリーの献身性こそキングスの文化

マクヘンリーは大学バスケの名門ジョージア工科大学の出身で、3年時はNCAAファイナル4で全米準優勝しました。そのチームのスタメンに名を連ねた、いわゆるバスケエリートです。

そんなマクヘンリーですが、プレイスタイルは非常に献身的でした。

必要以上にボールを要求せず、アシストを狙うパスではなくフロアバランスを整えるパスをさばき、常にチームの為に動き続ける。

そしてディフェンス。対戦相手のエースにマッチアップして簡単に得点させず、ヘルプディフェンスを怠らず、ディフェンスリバウンドを確実に自分たちのものにする。

声を荒げたりせず、いつも冷静に自分の仕事を高いレベルで遂行する。常にチームで一番の選手だったマクヘンリーの献身性こそ、今まで続く琉球ゴールデンキングスの文化になったと言えます。

コートを離れれば優しい笑顔を絶やさないナイスガイ。派手な選手ではないが絶対にチームに必要な選手。

そんなマックは沖縄のファンから最も愛された選手のひとりでした。

マクヘンリーの真の価値は「常にいること」

スタッツでは目立たないマクヘンリーですが、ひとつだけ特筆すべきスタッツがあります。

それは、出場試合数 です。

キングス在籍時は毎シーズンほぼ全試合出場、シーズン欠場試合数が5以上になった事はありません

信州移籍後も、30代後半にも関わらず安定して試合に出場しています。

「無事これ名馬」と言いますが、コンディションを維持して常にコートに立ち続けるそのプロフェッショナルさこそ、マクヘンリーの真の価値と言えます。

 

キングスの礎をつくってくれたアンソニー・マクヘンリー。彼が沖縄のファンにどのように迎えられ、対戦相手としてどうキングスを苦しめるのか、今から楽しみです。

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この記事を書いた人

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