みんなの思い出が宿る、沖縄みんなのアリーナに 琉球ゴールデンキングス 木村達郎

沖縄アリーナ始動を記念して、琉球ゴールデンキングスの代表取締役社長 木村達郎氏のロングインタビュー(『OUTNUMBER2020-21 2Q』2021年1月5日販売号より)をWEB公開いたします。
なお、インタビュー本文は本誌掲載のまま、写真は一部レイアウト修正、追加しております。

 

 

 琉球ゴールデンキングス
bjリーグ最多優勝4回、Bリーグではまだリーグ制覇は無いが西地区3連覇中。
押しも押されぬ日本屈指の強豪プロバスケットボールチームだ。

そのチームを、沖縄でゼロから立ち上げたのが木村達郎。

琉球ゴールデンキングスの運営会社である沖縄バスケットボール株式会社と、新しくアリーナ管理のため設立した沖縄アリーナ株式会社、2つの会社の代表取締役社長。

2021年4月、沖縄県沖縄市に琉球ゴールデンキングスがホームアリーナとする沖縄アリーナが完成した。

 

2020年12月、木村は多忙のなか我々のために時間を取って独占取材に応じてくれた。

取材冒頭で「キングスはもう弱小チームじゃないのに、木村さんはいつも創設当初の負け続けた時の話ばっかりしますよね」と聞いてみると「そうだっけ。でも確かに負けた話ばっかりだ」と笑いながら話し始めてくれた。

新しく完成するアリーナの話だけではなく、木村自身の原体験の話を。

 

 

夢はホームアリーナ! と言い続けた

最初の優勝が2009年、僕が初めてアリーナについて語ったのは、当時地元新聞で連載していたコラムのなかでした。2009年11月24日のコラム。今でも覚えています。

創設1年目の観客数が1680人、2年目が2400人と観客が増えていて、そして優勝。3年目でさらに2500人まで伸びた。そんな時期でした。

2009年の時点では「アリーナ」なんて言葉は誰も使っていない時期で、そんななか僕はアリーナ、アリーナ…って何度も連呼してて(笑)

自分のなかでは、琉球ゴールデンキングスのためだけではない、時間はかかるかもしれないけど、ゼロからプロバスケットボールチームを立ち上げた時のように動き出してみようと考えていました。

 

「夢のアリーナ」を具現化する作業

でも「アリーナ」と言葉にしても、どんなものが欲しいのか自分でも正直そんなに分かっていなかった。それでその頃から自分自身のイメージを具現化するため、ケーススタディ的なことを始めたんです。

場所とか土地とか一切関係なく、既存の色々なアリーナを同じスケールで比べてみたらどうなるのか。当時沖縄県で一番大きな屋内施設の宜野湾コンベンションセンターと県外の屋内施設を比べてみたり、そんな事を始めてみました。

そうすると、巨大な施設が欲しいわけではないんだな、当時の3000人規模の集客から1.5倍の4500人とか5000人くらいがいいのかな、とかうっすら見えてきて。

もう少し掘り下げて投資的には収支として成り立つのかとか考えて、当時は今よりずっと建設費が安くて坪単価いくらくらいで建設可能なのかも調べてました。

観客席をすり鉢状の配置にして、でもそれだけだと楽しくないからビルディング部分で変化をつけたり、スイートルームや映像調整室なども配置して。簡単な図面や模型も作ってみた。その時作った模型が今の沖縄アリーナにけっこう似てたりするんですよ。

 

そうやってどんどん自分自身のなかのアリーナが具現化されていきました。

最後に出てきた「沖縄市」多目的アリーナ構想

当時はホームタウンが明確に決まっておらず、県内各地の体育館で転々と試合開催するようないわばジプシー状態でした。

 

僕がアリーナの話をそこかしこで言い続けたおかげなのか「もしアリーナを、新しい施設を整備したらキングスは使ってくれますか?」というお話が複数くるようになって。まあ実際にはアリーナじゃなくて体育館なんですけど(苦笑)

ただ立地条件だったり、もう具体的な設計まで進んでいたりして、なかなか僕らの思い描くアリーナ像とは異なる話が多かった。

 

アメリカではフランチャイズ制度が確立していて、都市がアリーナ建設に協力することで球団を誘致する文化がある。

そこまでではないですが、沖縄県に根付くチームとして自分たちのホームタウンをどこにするかは長期的なビジョンで考えなければならないので、我慢してでもより良い環境が整うまで待っていました。

 

沖縄市の多目的アリーナの話は、実はいちばん最後に出てきました。どのくらい本気なのかなと市長や沖縄市プロジェクト推進室の話を聞いてみると、これは本気なんだなと感じました。

行政プロジェクトのヒアリングでこちらの話を熱心に聞いてくれて、そうして沖縄市とアリーナプロジェクトをやっていく事になり、基本設計の段階から設計監修業務として関わらせて頂きました。そして現在までずっと沖縄市とはいっしょにやっています。

 

関わった最初の頃は今みたいに同じアリーナ像を見ているような関係じゃなくて、最初に出てきた設計を見たら「これはアリーナじゃなくて体育館じゃん」という案だった(苦笑)

いわゆる設計のロジック、必要な諸室の数や面積、配置を当てはめたような図面で、いやいやそうじゃないと、ああしてこうしてといっぱい言いましたよ。高速道路側に伸ばしたらどうなるとか、ボックスシートはあるけどそこに行く通路が区別されていないと高級感が無いとか、搬入経路はどうするんだとか。

 

自分で作った「全NBAアリーナガイド」

必要条件を当てはめるだけの設計のロジックじゃだめなんです。

 

僕は自分でネットから探してきてNBA全30チームのアリーナの座席配置図の一覧表を作ったんですよ。それとNBAと同じアリーナを使用するNHLの座席配置図も並べてみました。

そうすると見えてくるんですよね。アリーナの形が。オーバル型(楕円形)が多いなとか、八角形だとサンズとか、サンアントニオとか。ジャズはバスケ向きだなとか。

バスケのコートは28×15メートルで、アイスホッケーは約60メートル×26メートルでより細長いし両サイドは半円。どちらのサイズをメインにするかで、おのずとアリーナの形も座席配置も決まる。

 

多目的は無目的、というけれど、八方美人より主目的を決めた上で、どれだけ多用途で利用できるか。そんな考え方を基本設計の最初の頃にお伝えする。そんな事の繰り返しでした。

アリーナは平面ではなく、立体

日本でいちばん理解されにくいのは、アリーナという建物の断面構成なんですよね。

コート四辺から2メートルの余白で、そこから観客席がスロープ(傾斜)をつけながらアリーナ全体に広がっていく。そのスロープを1本の線でそのまま天井まで上げていくのか、それとも一層目と二層目を分けて2本の線で上げるのか。

その場合スイートルームをどの層に持ってきて、コンコース(大通路)はどこに通すのか。

 

建築的な制約のなかでスロープの高さを上げたり下げたり、層を分けたり、そうやって断面や立体で考える事でアリーナのあるべき姿かたちが見えてくるんです。

そういった事を、設計者の方々とお話して分かってもらえた事がいちばん大きかったかもしれないですね

 

アリーナは「生きた建物」

日本にもさいたまスーパーアリーナとか横浜アリーナとか大きな施設はあるけど、イベントの無い日に行くと中は空っぽで生きた感じがしない。

 

僕は以前ボストンに留学してたんですが、レッドソックスのフェンウェイパークに行くと、たとえ試合のない日でも往年の選手のプレーや、それを見て一喜一憂した人々の歴史や想いが宿っている。だからスタジアムツアーがあり得る。

FCバルセロナのカンプノウとか、そういう人々の想いが宿る場所がアリーナやスタジアムだと思っているんです。

これからのアリーナは、家主じゃないけど、誰かが常駐するような、生きた建物にする事はすごく大事だと考えています。

 

また、今はキングスも仮設席を組んでやっていますが、毎年ちょっとずつ変化しているんです。細かい話ですがバスケットゴールの支柱を黒に塗り替えたり。

日本でも特にプロ野球は、スタジアムを毎年少しずつ改修して新しくしている。

そうやってずっと変化し続けるアリーナ、そういう意味でも生きている建物にしたい。そう考えています。

神宮球場と" The Garden "

アリーナが歴史を積み重ねて、レッドソックスなら親子三代フェンウェイパークのシーズンチケットホルダーみたいな。

チームのファンだけの場所ではなく、アリーナが自分が最初にお父さんお母さんに連れてきてもらった場所だったみたいな。そんな場所にしたい。

 

実をいうと僕のなかでの原体験みたいなものがあって。僕は東京の渋谷生まれで、初めてプロ野球を観に行ったのが神宮球場だったんですよ。

当然ヤクルトの試合なんだけど、対戦相手はブルーのチームとしか記憶にない。巨人なら絶対に覚えてるし阪神も黄色だし、カープは赤。じゃあ中日か大洋か。それくらいの記憶。

でも夕暮れ時で、球場に入ると都会の中なのにすごい空が広くて、客席にはぽつぽつ人がいて、古い電光掲示板が光ってて。そんななかで親父が隣で美味そうにビールを飲んでいる。それだけははっきりと覚えている。

その瞬間しか覚えていないけど、僕らの仕事って、アリーナに行ってきっと残るであろう想い、原体験みたいなものを作っていく事なのかな。

 

あと、留学していた時にボストン・セルティックスのシーズンチケットを買ったんです。1996-1997シーズンでした。当時はアントワン・ウォーカーが入ってきて数年後にポール・ピアースが入る時期。すごい弱かったですし、2階席の安いチケットでしたけど「俺もシーズンチケットホルダーだ」っていう気持ちになれた。これも僕の原体験ですね。

 

沖縄をもっと元気に、もっと楽しく

バスケがあったからアリーナができたけど、アリーナがあるからこそバスケを超えてそんな感動、原体験を生むことができて、それがまたバスケに戻ってくる。

バスケのためだけじゃない、バスケの外に貢献する事こそが、バスケの価値に戻ってくる。そういう思いがあって琉球ゴールデンキングスの活動理念は「沖縄をもっと元気に!」としています。

 

アリーナができて、沖縄でいろいろなエンターテイメントイベントを沢山やって人々の感激や感動、思い出が積み重なっていく場所になって欲しいという意味で、「沖縄をもっと楽しく!」が沖縄アリーナ株式会社のモットーになっています。

今までとコンセプトは同じなんですけど、より広い範囲で沖縄への社会貢献をしたいと考えています。

 

キングスというチームを立ち上げた時に痛感したのが、チームを強くしたい、勝ちたい、くらいだと人はなかなか集まってこないし巻き込めない。

物事を前に進めるためには、できるだけ多くの人を巻き込めるだけの社会的な大義を持っている事が大事。

キングスはキングスの事ばかり考えている訳ではない。だからこそいっしょにやってくれる、という好循環を作っていく事がカギだったのかな、そう考えています。

沖縄のみんなのアリーナへ

僕なりの「スーパーチーム」の定義があって、三世代に渡りスーパースターがいるチーム。

例えばレイカーズならウィルト・チェンバレン、ジャバーとマジック、シャック&コービー。セルティックスだとビル・ラッセル、ラリー・バード、そしてポール・ピアースのBIG3とかね。

読売ジャイアンツは完全にそれに値すると思うんですよね。赤バット(川上哲治)が青バット(大下弘)と競う時代から始まって、長嶋と王、そして松井がいて。

あれが自前のスタジアムだったら、あそこにすごい思い出が残っている場所になっていたはずなのに。

 

広島人にとってのカープとの関係とかいいですよね。昔から市民球団で、カープファンじゃないけど地元広島の球団だから何となく応援してる。そんなゆるくて広い繋がり。そしてそこにスタジアムができて飛躍する。カープのマツダスタジアムもよく行きましたし、沖縄市がキャンプ地の関係もあって広島の松田オーナーとも何度かお話させて頂きました。

そういう意味ではキングスのアリーナ、ファンの為のアリーナというよりは、キングスが沖縄にあることでみんながゆるく応援してくれて「沖縄のみんなのアリーナ」になって欲しいですよね。

 

新たな観戦文化を創る

この沖縄アリーナには30室のスイートルームがあります。じゃあそれが最初から完売する、とは思っていない。だって沖縄どころか日本にはそんな文化は無いから。

儲かるスタジアムアリーナというお題目で、皆すぐアメリカの勉強をして、スイートは一室数千万で売れるから20室作って何億円の収入、とかいうけどアメリカと日本では文化が違う。

そもそもプロスポーツ観戦という価値観が沖縄に無かった時代があって、僕らがチームを作ったばかりの頃には、チケット売り場で1枚3,000円ですと言うと、え? 金とるのか? と怒って帰っちゃう。そんな事が本当にあったんですよ。僕らは、お金を払ってスポーツを観る、という文化を作ってきたんです。

だから今度も新しい楽しみ方を体験してもらえる、新しい観戦文化を創っていくつもりです。

 

実際にスイートのレイアウトやサイズも売りやすいように細かく考えていて、例えば建物の基本的なサイズは柱ピッチの7200ミリを基準に考えるんですけど、そうするとひとつずつのスイートが大きくなり高く売らないといけなくなっちゃう。何千万も払ってもらうのは現実的じゃない。だから少しコンパクトなスイートを多くして売りやすくしてます。

ただ全部同じだとつまらないから、八角形の角に位置するスイートはバルコニーは狭いけど部屋が広い、とか。また真ん中のいちばんいいスペシャルスイートは飛行機のファーストクラスみたいに観覧席の間隔を広くして、そうするとバルコニーがちょっと前にせり出してくるからアリーナ全体を360度見渡せるほど見晴らしがいい。そういう細かい部分も完全にリクエストで作ってもらっています。

 

基本設計だと3階はスイートがぐるっと一周回って配置されて50室くらいあったんだけど、そんな多くの数は売れないし、一般のお客様にも楽しんで欲しい。なのでスイートの配置を減らして、そこを一般のお客様向けの飲食ブースにしました。そうする事で飲食を買いに行く時間も試合の雰囲気を感じられるような造りにしています。

 

コロナ禍のこの状況ですけれども、まずはこの沖縄アリーナがきちっと船出を迎えて、2022年にはBリーグのオールスターを開催して、できる事ならいろいろな制限も徐々に解除されて。そういう目の前の事をひとつずつ着実にやっていく事こそが、将来に繋がっていくのかなと考えています。

 

 

この取材が行われたのは、アリーナ建設現場のほど近くにあるオフィスの一室。

そこは木村がアリーナにかける夢、三世代続く笑顔の原体験が宿る場所を作りたい、そんなエネルギーに溢れていた。

取材中も木村の携帯電話が鳴り響き、アリーナのカーペットの模様について細かく話し合っていた。

取材の最後に、アリーナ建設開始直後の写真を見せてくれた。まるで子どものように嬉しそうに。

そして取材が終わると、木村はマイヘルメットを片手にまたアリーナ建設現場へ駆けていった。

 

このアリーナが、初めて笑顔にさせた人は、木村達郎。

その笑顔が、ずっとずっと次の世代まで受け継がれる事を願っている男が見せた、最初の笑顔。

 

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