7月19日、宮古島市の狩俣集落センターで「狩俣昌也選手の功績を称える会」が開催された。
日本最南端のプロバスケットボール選手として、宮古島から全国へ羽ばたき、日本トップリーグの第一線で活躍。さらに、日本一の栄冠も手にした狩俣昌也さん。その輝かしい競技人生をたたえるとともに、現役時代から故郷・宮古島でバスケットボールクリニックなどの地域貢献活動を続け、子どもたちへ夢と希望を届けてきたことへの感謝を伝えるため、この会が開かれた。


故郷への感謝と新たな決意
会の冒頭、狩俣昌也さんは「14年間のプロバスケットボール人生の最後に、日本一という景色を見ることができたのは、応援してくださった皆さんのおかげです」と、これまで支えてくれた人々へ感謝を述べた。 また、「タイトルを獲ることもうれしいですが、バスケットボールの枠を超えて、地域の皆さんにこのような会を開いていただけたことは、僕にとって本当に価値のあることです」と語り、故郷からの祝福への喜びをかみしめた。
「島を離れてからの人生の方が長くなりましたが、どこへ行っても挑戦し続けることができた根底には、宮古島、そして狩俣で育った経験があります」と故郷への思いを語ると、「これからはバスケットボールを通して学んだ経験を宮古島へ恩返しできるよう、何らかの形で返していきたい」と、新たな決意を口にした。

宮古島市が表彰「子どもたちの希望」
続いて、宮古島市から狩俣昌也さんへ表彰状が贈られた。表彰状には、「本市のスポーツ振興および青少年の健全育成に多大な貢献をされました。よって、その功績を称え、ここに表彰いたします」と記され、宮古島市を代表して副市長の砂川朗氏が手渡した。
砂川副市長は、「今日この会場には狩俣の住民が全員集まっているのではないかと思うほどの熱気です。それだけ昌也選手は、この小さな集落が生んだスーパースターなのだと感じています」とあいさつ。14年間にわたる現役生活をねぎらうとともに、「コートで見せてくださった挑戦する姿、そして島への感謝を忘れない謙虚な姿勢は、宮古島の子どもたちにとって大きな希望となりました」と、その功績をたたえた。
また、現役中もバスケットボール教室や講演会などを通じて地域貢献を続けてきたことに敬意を表し、「今後も培ってこられた経験と実績が次の世代へ受け継がれ、新たな挑戦につながることを期待しています」と、さらなる活躍にエールを送った。

沖縄バスケットボール界からの感謝
続いてあいさつした沖縄県バスケットボール協会会長の日越延利氏は、沖縄本島から駆け付けた。「狩俣さん!」と会場に呼びかけると、多くの来場者が手を挙げる場面もあり、ユーモアを交えた語り口で会場を和ませた。
一方で、「長崎ヴェルカは本当に強かった。そして昌也はキングスでも素晴らしい実績を残してくれました」と、琉球ゴールデンキングスの取締役という立場から、Bリーグファイナルで敗れた複雑な心境にも触れながら、その活躍を称賛。「本当に、僕は彼を誇りに思っています」と惜しみない賛辞を送った。
また、「離島の子どもたちが昌也選手を見て、将来の昌也選手を目指して頑張ってほしい」と語り、狩俣さんが沖縄の子どもたちにとって憧れの存在であり続けることへの期待を寄せた。最後は「昌也、ありがとう。沖縄バスケットボールの子どもたちのために、本当にありがとうございました」と深く感謝を伝え、大きな拍手に包まれた。

「背番号4」に込められた信頼
宮古島市教育委員会の宮城克典教育長は、功績をたたえるだけでなく、自らチョークアートで描いた狩俣さんの肖像画を披露し、その活躍を祝福した。
宮城教育長は、「これだけの離島から全国、そして世界に誇るバスケットボール選手が生まれたという思いを込めて描きました」と制作への思いを語った。
また、「狩俣昌也さんは長年にわたり背番号4を背負い、多くのチームでキャプテンを務めてきました。それは監督からの信頼や人望、そして背中でチームを引っ張る姿勢が認められていたからだと思います」と、そのリーダーシップを高く評価。
Bリーグファイナルにも触れ、「優勝が決まった瞬間、コートにいた選手たちが真っ先に昌也選手のもとへ駆け寄る姿を見て、『本当にありがとう』という思いが伝わってきました」と振り返り、「狩俣さんは狩俣地区だけでなく、宮古島市の子どもたち全員にとって目標となる存在です」と、その功績をたたえた。

「教え子がくれた最高のお酒」
小学校時代に狩俣昌也選手を指導した恩師、与那覇歩さんは、教え子の功績を喜びながら、感謝の言葉を述べました。
「皆さん、こんばんは。与那覇歩です。狩俣の出身です。今日は、昌也のおかげでこのような素晴らしい会を開いていただき、本当にありがとうございます。私は『名将』と言われることもありますが、決して私の力ではありません。昌也をはじめ、チームメイト一人ひとりが本当に素晴らしい選手たちでした。そのおかげで、今日まで数え切れないほどの良い思いをさせてもらいました。」
与那覇さんは、狩俣昌也選手が小学5年生の頃から指導にあたったことを振り返りながら、
「チームが存続の危機を迎えた時代を支えてくださった先生方もいました。その方々からバトンを受け継ぎ、指導を続けてきた結果が、今につながっているのだと思います。」
と、これまでチームを支えてきた歴代指導者への感謝も口にしました。さらに、
「県大会優勝、そして全国大会へも連れて行ってもらいました。その後も中学校で素晴らしい指導者と出会い、昌也を中心に狩俣小学校・狩俣中学校の素晴らしいチームができ上がったのだと思います。」
と、狩俣昌也選手の歩みを振り返りました。最後は笑顔で、
「今日は最高においしいお酒を飲んでいます。本当にありがとうございます。」
と締めくくり、会場は温かい拍手に包まれました。

「体育館のない日々が育てた日本一」
狩俣中学校時代に指導した恩師・浜川泰成さんは、中学時代の思い出として、体育館の建て替えにより運動場で練習を続けた日々を振り返った。
「芝生では強くドリブルをつかなければボールが返ってきません。シュートも風で流されます。それでも『プラスに考えよう』とみんなで取り組みました」と当時を回顧。天井のない運動場で練習を重ねた経験が、「試合では体育館が広く感じることもなかった」と笑顔で語った。
その中で、キャプテンとして先頭に立ちチームを引っ張ったのが狩俣さんだったという。「厳しい環境でも仲間をまとめ、県大会3連覇を成し遂げてくれました」と教え子の成長をたたえ、「これからはバスケットボール界へ恩返しをしたいという本人の思いを大切に、新たな舞台でも頑張ってほしい」とエールを送った。

同級生が語る「安心感」
式の終盤には、小・中学校時代の同級生一同から、狩俣さんへ記念品として泡盛の大きな酒瓶が贈られた。
同級生を代表してあいさつした新里和茂さんは、小・中学校で副キャプテンとしてともにプレーした当時を振り返り、「昌也という人を一言で表現するなら『安心感』でした」と語った。
「昌也がコートにいるだけで、チームメイト全員が安心してプレーすることができました。苦しい場面でも、いつもどおりのバスケットボールができたのは、昌也がいてくれたからです」と、キャプテンとして仲間を支え続けた存在だったことを明かした。
また、「子どもたちにも『こんなすごい人と一緒にバスケットボールができたんだよ』と話せる、自慢の1ページが刻まれました」と笑顔を見せ、「日本一おめでとうございます。そして14年間の現役生活、本当にお疲れさまでした。次のステージでも昌也らしく頑張ってください」と、新たな門出へエールを送った。


後輩が追い続けた背中
FMみやこの今村はるかさん(狩俣小・中学校の後輩)は、狩俣さんについて「狩俣という小さな地域からでも頑張れば夢をかなえられるということを教えてくれた存在」と語った。
子どもの頃は「バスケットは楽しくないな」「練習に行きたくないな」と感じることもあったという。しかし、狩俣さんがクリニックで指導したり、Tシャツにサインを書いてくれたりするたびに、「もっと頑張ろう」と前向きな気持ちになれたと振り返る。
「狩俣の子どもたちは、マサヤさんの背中を追いかけながらバスケットを続けてきました。これからも宮古島に帰ってきて、クリニックなどを通して子どもたちに夢を与え続けてほしいです」と、故郷への変わらぬ思いと今後への期待を語った。

「宮古島の子どもたちに大きな影響を与えた存在」
宮古バスケットボール協会の垣花秀明会長は、中学校時代から狩俣さんの活躍を見てきた一人だという。
「当時、私は西辺中学校にいましたが、試合ではいつも狩俣中学校にやられていました。本当に強いチームという印象が今でも残っています」と、中学時代を振り返った。
その上で、「狩俣選手が立派に成長し、このように功績をたたえられる姿を見ることができて本当にうれしく思います」と喜びを語り、「宮古島の子どもたちに与えてきた影響は本当に大きい。これからも目標となる存在として活躍を続けてほしい」と、新たな挑戦へエールを送った。

母が見守った14年間
会場には両親や親せきの姿もあり、地域の人々とともに狩俣さんの節目を見守った。
母の康子さんは、幼少期について「兄弟の中では一番早く家を出て行きました」と懐かしそうに振り返る。高校進学のため宮古島を離れた息子は、その後14年間にわたりプロの世界で挑戦を続け、日本一という最高の結果を手にして現役生活に幕を下ろした。
「けがなく、最後をいい形で終えることができて本当に良かったです。」
飾らないその一言には、幼い頃から息子の挑戦を見守り続けてきた母親としての安堵と、長年支えてきた思いが込められていた。
この日、会場で語られたのは、勝利やタイトルの数だけではなかった。恩師、仲間、後輩、行政関係者、そして家族。それぞれが口にしたのは、人を思いやり、故郷を大切にしてきた狩俣昌也さんの姿だった。
宮古島・狩俣で育った一人の少年は、多くの人に夢と希望を与える存在となった。故郷から送られた惜しみない拍手と感謝の思いは、新たな挑戦へ踏み出す狩俣さんの背中を力強く押していた。
(写真・文:金谷康平)



