『琉球サムライ』背番号6 金城茂之氏 永久欠番セレモニー

(文:湧川太陽、写真:Hamataro)

3月26日(日)、元琉球ゴールデンキングス #6 金城茂之氏の永久欠番セレモニーが行われた。

金城氏は、琉球ゴールデンキングス創設時からチームの主力として活躍。bjリーグ時代4度の優勝に貢献、度重なる怪我に苦しみながらも、キングスに12シーズン在籍。「しーげー」の愛称でファンからも愛されていた。

その後、金城氏は仙台89ERSに移籍。2シーズン選手として活躍して2021年7月に選手引退。現在は仙台89ERSのアシスタントコーチとして活躍中だ。

 

琉球ゴールデンキングス vs 仙台89ERS GAME2の試合終了後に行われた永久欠番セレモニーは、直前の激闘を終えた両チームが揃って金城氏を祝福した。

 

セレモニーで挨拶をしたキングス桶谷HC。キングスbj初優勝時の指揮官であり、金城が選手として最も光り輝いていた頃を知る人物だ。

「シゲと初めて会った時の印象は、勤労者体育センター(宜野湾市、当時の練習場)に『野武士みたいな二人がいる』と思って、その一人がシゲでした(笑)。シゲはその年活躍してオールスターに出場したけど、3ポイントコンテストでボールを真上に投げちゃって(笑)。でもシゲはbjファイナルではジャンパーを全て決めてくれた。本当の勝負所でチームを勝たせられるプレイヤーで、彼のおかげで僕は日本一になれました」

 

桶谷HCは、金城氏らしく笑えるエピソードも交えつつ、当時のプレイヤーとしての凄さを語ってくれた。実際、金城氏はbj初優勝時には正確な3ポイント、爆発的なドライブで得点を量産。金髪のロングヘアーを頭で結ぶスタイルから、当時の実況から『琉球サムライ』と呼ばれていた。

 

そして、キングス岸本隆一も金城氏とのエピソードを語った。

「僕が(キングスに)入団した頃は、シゲさんの怪我も重なった後でシゲさんが苦しい時期を、僕は一緒に過ごしていたと思います。その中でチームはどんどん前に進んでいき、今思えばシゲさんは多くのことを抱えて、それを周りにこぼさずに自分の中で消化して、シゲさん自身チームのためにやっていたんだなと、僕はいま32歳になってようやく少しずつ気づくようになりました」

 

岸本の言葉通り、金城氏は度重なる怪我に苦しんだ。bj初優勝直後のシーズンに膝の大怪我を負うと、その後も何度も怪我が重なった。爆発的なドライブは影をひそめたが、金城氏はディフェンス、リズムを変えるプレイなど、チームに必要なことを率先してプレイする、チームを陰から支える存在になっていった。

 

 

沖縄アリーナのコートの上でマイクを持った金城氏は、はにかんだ笑顔で永久欠番の喜びを語った。

「本当にすごい幸せです。試合結果は隆一が2日連続でとどめを刺してくれて最悪でしたけど(笑)、22歳からキングスに入って、いや小5からバスケットを始めて、今でもこうやって大好きなバスケットボールを職業にしています」

「仙台でもほんと素敵なメンバーと、セオさん(藤田HC)、落合さん(落合嘉郎AC)のもとでやっています。僕はまだまだ2年目の新米アシスタントコーチなんですが、お互いに話し合ったり、セオさんのもとで熱い指導を受けて、バスケットを勉強しながら毎日が楽しいです」

 

「それも全て琉球ゴールデンキングスが僕を育ててくれたおかげで、僕はここに立てていると思います。思い描いた選手生活ではなかったんですが、1、2年目の若い頃は能力でやっていて、自分がどこまでも行けると思っていました。大怪我をきっかけにすごく悩んだ時期もあったんですけど、キングスが見放さないでいてくれて、その中で自分が出来ることを必死に探した結果が『チームのために何でもやる』という姿勢。ただ何でもやるんではなくて、チームに無いものを補って自分に出来ることをやろうとした事が続けてこれました」

「永久欠番は自分には本当に勿体無いと思うんですが、人間的な我慢強さ、考える力を養うチャンスをくれたキングスに本当に感謝しています」

 

「こんなすごいアリーナで、隆一とたっしー(田代)がコートで成長していく姿を見れたのが嬉しくて、それもキングスという球団に関わる全ての人が、ずっとキングスを応援して支えてくれた結果だと思います。キングスに関わる皆が作っていったものがこのアリーナには詰まっていると思います」

「キングスはこれからもっともっとすごくなると思うので、僕もいち沖縄県民として、仙台89ERSと同じくらい大好きなチームなので応援しています。これからも頑張って下さい」

そうやって金城氏らしく温かい優しい声で、挨拶を締め括った。

 

 

永久欠番セレモニーが終わった後、記者会見にて金城氏に沖縄アリーナの中央に立った感想を聞いてみた。

「この2日間、アリーナの規模の大きさ素晴らしさに感動しっぱなしでした。試合中はベンチから見ていましたが、コートの真ん中に立って見る景色は、本当に何て言っていいかわからないですけど、ものすごいアリーナでプレイできるキングスの選手たち、そしてそれを見に来るお客さんは幸せだな。そう思いました」

 

アリーナの中心で全員から祝福されながら、頭によぎった過去の思い出を聞いてみると、金城氏はちょっと意外な答えを返してくれた。

「めちゃくちゃありすぎて(笑)、ただ一つふと思い出したのが最初の試合。それが確か最初の試合。ベース(基地)の中だったんですよね。そこでやった試合の光景が思い出されました。そこからこうやってすごいアリーナになるまで本当に色々あったので。キングスがずっと強いままでいてくれたのは会社の組織としての凄さがあるなと思いました」

 

 

2007年10月、その年のbjリーグに参戦予定のキングスは、米軍基地キャンプ瑞慶覧(沖縄市宜野湾市他)にて東京アパッチとプレシーズンゲームを行った。キングスにとって観客を前にプレイする、本当の意味での『初陣』だった。

参考:プロバスケットボール bjリーグ公式ブログ : 10月13・14日 プレシーズンゲームのお知らせ・沖縄 – ライブドアブログ

 

そこから数多くの戦いを重ねてきて、沖縄アリーナという居城を得たキングス。

その歴史は、背番号6番 金城茂之の活躍と苦闘によって作り上げられてきた。キングの居城に戻ってきた『琉球サムライ』は、大観衆から感謝の拍手を受けながら、変わらない笑顔を見せてくれた。

 

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この記事を書いた人

地元で開催されるFIBAバスケットボールワールドカップ2023に貢献するべく奮闘中!
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