写真・文:大井 聖路
卓越したハンドリングスキルを持つ選手は、沖縄バスケの花形だ。しかし、バスケットボールが得点を競い合う競技である以上、せっかくのハンドリングスキルも得点につながらなければ効果は薄れてしまう。その点、渡久地は観る者にストレスを与えない。卓越したボールハンドリングでリングへの最短距離を突き進み、レイアップやバスケットカウント、さらにドライブからのキックアウトでアシストを量産する。
類まれな突破力を買われて1年次から試合に起用されるものの、渡久地は常にチームの叱られ役だった。勝負どころの戦術理解で監督やチームメイトとの食い違いが生じ、接戦を落とすこともあった。それでも、嘉陽宗紀監督は辛抱強くコミュニケーションを取り、前キャプテンの赤嶺有奎(豊見城高→専修大)をはじめとした先輩たちは厳しくも温かく叱咤激励を続けた。そして迎えた最終学年の県高校総体で渡久地はエースガードとして躍動し、チームを優勝へと導いた。決勝戦の後、笑顔と涙で顔をくしゃくしゃにする渡久地に今の率直な気持ちを語ってもらった。
悲願の優勝。エースとしての責任
――現行チームになって初めての県大会優勝、おめでとうございます。
ありがとうございます。自分たちはずっと興南に勝つという目標を掲げて練習に励んできたので、本当に、この試合(決勝戦)に懸けていました。
――高さのある興南に対して、リバウンドではどのような工夫をしましたか?
リバウンドは全員でブロックアウトして取るものなので、一人ひとりが集中力を切らさずに続けられたことが良かったと思います。
――渡久地選手は特にオフェンスで貢献しました。
1点を争う戦いだったので、ガードとして決めないといけないという自覚があって、『絶対に決めてやるぞ』という気持ちでシュートを放ちました。
――決勝は延長戦に突入しました。
きつかったです。悪い流れが続いて、4Qで同点に追いつかれて、そこで気持ちをリフレッシュして延長戦に挑めたことが大きかったです。
――嘉陽監督は延長に入る前、渡久地選手に『自分で行け』と指示していました。
『苦しくなったらお前が攻めれ』と練習時から指示をもらっていて、練習でも何度か苦しい時に自分が行って決めることができていました。それを忘れて、4Qの終盤、自分もチームもうまくいかない時間帯にみんなにまかせてしまった。それを嘉陽先生から注意してもらって、また自分が引っ張っていこうという気持ちになれました。
先生、先輩、チームメイトへの感謝
――これまでは接戦を落とすこともありましたが、壁を乗り越えた要因は?
今までは接戦に弱くて、接戦で毎回負けてて、それは日ごろの生活態度が原因だったのかなと考えるようになりました。先生方も自分たちを厳しく叱ってくれて、生活態度を見直して、そういう細かいことが積み重なってこの結果につながったのかなと思います。
――嘉陽監督は渡久地選手のことを『成長している』と話していました。
1年生からずっと嘉陽先生に迷惑をかけてきて、怒られてふてくされることもあったんですけど、家に帰ってから嘉陽先生に言われたことを自分で振り返っていました。ここでしっかり結果を出して恩返ししたいと思っていました。
――前キャプテンの赤嶺有奎選手をはじめ、先輩にも良い報告ができますね。
彼は東京に行ってるんですけど、東京からも応援メッセージをいただいて、ずっと自分たちのことを応援してくれました。『勝った』という報告をしたいです。
――今年は1年生にスーパールーキー、松田悠之介選手が加入しました。
心強いです。松田は自分の従兄弟なんですよ。以前から豊見城高校のバスケの話をしてて、即戦力で入ってきてくれました。
――どのようなところが心強いですか?
松田とキャプテン(知念拓己)は、僕が冷静じゃない時に『落ち着け』とか『ここは一本取るぞ』といった声掛けをしてくれます。
逆境を力に変える
――いま高校3年生で、最上級生の年に新型コロナウィルスが流行して、全国大会が開催されず、県大会も開催されるかどうかわからない状況でした。複雑な心境だったと思いますが、休校期間中はどう過ごしていましたか?
自分は将来プロになりたいと思っていて、この期間に自分自身がどう成長するかを考えていました。たとえば自分の身体をどうキープするか。(チーム)練習をしていない中で、自分を追い込むのは大変なことで、甘えてしまいそうになったこともあったんですけど、将来の夢とか、チームで勝つことを常に考えて、気持ちを切らさないように、ずっとMAXの状態を維持できるようにしてきました。心身両面で、自分が成長するためにやってきたことが今大会で生かせたと思います。