当サイトはアフィリエイト広告を利用しています

激動のシーズンを終えた琉球ゴールデンキングス、安永淳一GMが大事にする『キングスの文化』とは

琉球ゴールデンキングスの2023-24は激動のシーズンだった。Bリーグ優勝候補筆頭に挙げられながら、相次ぐ主力選手の怪我や、過密なスケジュールにも悩まされ上昇気流に乗れず、シーズン再終盤で西地区優勝を逃す。チャンピオンシップ(CS)では強敵を倒し3年連続のFINAL進出を決めたが、逆転でリーグ連覇を逃してしまう。

そしてオフにはライバルチームの大型補強が続く中、キングスは主力選手の退団が相次いで発表され、ファンにも動揺が走る。2024-25シーズン、キングスはどのように戦い、そして応援してくれるファンに何を見せていきたいのか。チーム創設以来キングスを支え続ける安永淳一GMにロングインタビューを行った。「ジュンさん」の愛称で親しまれる安永GMが語ったのは、ただ勝つことよりも大事にすべき『キングスの文化』だった。

(取材日:2024年7月11日)

 

琉球ゴールデンキングス 安永淳一GM

 

──キングスにとって激動の23-24シーズンが終わって暫く経ちましたが、シーズン全体を振り返ってどんなシーズンでしたでしょうか?

22-23シーズンにリーグ優勝を達成しましたが、2年連続優勝争いは簡単には出来ないと思っていました。Bリーグ開幕以降、リーグのレベルは飛躍的に上がってきています。昨今のバスケ人気という追い風を受けて、競技力も10年前とは雲泥の差です。リーグ優勝したとはいえチームがそのままでは連覇は出来ない。さらに良くなるためには守りに入らず、選手もスタッフにも新しい戦力が必要でした。

そうして挑んだ2023-24シーズンは、「あと1勝」に何度も泣かされた1年でした。西地区優勝、天皇杯決勝、Bリーグファイナル。すべて「あと1勝」というところまで行きながら、すべて跳ね返されました。

 

 

開幕前の 2023年8月31日の練習中、ジャック・クーリーが「膝が痛い」と言い、その症状は思ったより深刻で1〜2か月の離脱になると分かり、インジュアリーリストに登録することになりました。ジャックは誰にも置き換えることが出来ないチームの大黒柱です。本当にピンチの状況でしたが、幸運なことにアレックス・カークと契約を結ぶことが出来ました。

実はアレックスとは以前に沖縄県北谷町で僕が散歩中、偶然出会ったことがあって、その時から彼が沖縄を気に入ってくれていると感じていました。クーリーの膝の状況が発覚してから、すぐにアレックスにコンタクトを取り、連絡をして2週間足らずでチームに合流してくれました。ただあまりにも緊急だったのでアレックスもコンディションが100%ではなかった。

 

 

シーズン開幕からジャックの怪我から始まり、ようやく復帰したと思ったら、今度はヴィック・ローが膝の怪我でインジュアリーリスト登録となりました。

桶谷ヘッドコーチからしたら歯がゆかったと思います。ジャックもアレックスもヴィックも相次いで離脱してしまい、皆が揃って練習したことが無かった。特にアレックスは急な加入だったため、夏の大事な時期に一緒に練習出来ていなかった。もっと一緒に練習出来ていれば、と桶谷ヘッドコーチは何度も口にしていました。苦しみながらも何とかシーズンを走り続けましたが、「もし全員がフレッシュな状況でスタートができていたら」と歯痒さを感じたシーズンです。

 

 

シーズン中も色々なターニングポイントがありました。アレックスの帰化もそのひとつです。彼が日本国籍を取得出来るかどうかは、僕らには本当に分かりませんでした。ジャックの怪我に続き今度はヴィックが怪我をしてしまった。その時はSNS上で色々と言われましたが、実際はそうじゃないんです。わざわざそんな事はやりません。本当に不運が繋がっている中でのアレックスの帰化でした。

 

それでもアレックスの帰化が認められたと思ったら、彼の足の状態が悪くなり、プレー時間も制限して練習も限定せざるを得ない状況になりました。常に誰かが不在、100%ではない状況を抱えながらもシーズン最後まで戦い切った。そんな状況を考えれば、本当にチームとして成長できた出来たシーズンだったのかなと思っています。

 

西地区7連覇を賭けた4月の名古屋Dとのアウェー2連戦と、その直後のアウェー広島戦でも敗れて3連敗した時はチーム全員が傷つきましたし、とても悔しかった。誰が悪いわけでもないし、手を抜いているわけでもない。全員が一生懸命取り組んでいるが、結果として勝利に結びつかない。名古屋Dとのアウェー直前のキングス西地区優勝マジックは2。「直接対決で勝利して地区優勝を」と大きな期待を受けていたのに、その「あと1勝」の期待に応えられなかった。選手もスタッフも、誰かがプツンと集中力を切らしてもおかしくない、それくらいのストレスがチーム全体に圧し掛かっていました。

 

西地区2位で挑んだCSでも苦闘は続きました。CSクォーターファイナルでのアウェーA東京との激闘を勝ち抜いて自信をもって千葉Jとの戦いに挑んだのに、初戦は大差で負けてしまった。天皇杯決勝では48点差という大差で敗れ、CSセミファイナル第1戦では33点差で再び敗れてしまった。

 

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事