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【特集前編】なぜマクヘンリーが沖縄の人々にとって特別なのか
2023年7月19日、信州ブレイブウォリアーズは、2022−23シーズンをもってアンソニー・マクヘンリー選手が引退することを発表しました。

以下記事は、2021-22シーズン 4月20日(水)に予定されていた『琉球ゴールデンキングス vs 信州ブレイブウォリアーズ』を前に、琉球ゴールデンキングス時代のアンソニー・マクヘンリー選手の活躍を紹介するために、2022年4月5日に公開した記事です。この試合はアンソニー・マクヘンリー選手が沖縄アリーナへ初凱旋する記念すべき試合でしたが、新型コロナウイルスの影響により、残念ながら試合中止となり、マックの沖縄アリーナ初凱旋は実現しませんでした。

 

アンソニー・マクヘンリー選手のbjリーグ、Bリーグにおける功績をより多くの方々に知っていただきたく、一部追記して本記事を再公開いたします。

 


 

なぜマクヘンリーが沖縄の人々にとって特別なのか

2022年4月20日(水)、琉球ゴールデンキングスは信州ブレイブウォリアーズを沖縄アリーナに迎える。今季のリーグ戦ではキングスが3戦3勝としているが、いずれも信州でのアウェイゲームだ。終了間際に岸本のスリーポイントで逆転した試合や、ダブルオーバータイムにもつれこむ試合があるなど、3試合ともすべて接戦でどちらに勝利が転んでもおかしくはない内容であった。

この3試合で信州は、勝久マイケルヘッドコーチのもと選手とスタッフは団結していて、非凡なタフネスとインテリジェンスを持ち併せており、簡単に勝たせてくれる相手ではないことを証明した。そんな信州の中心的存在がアンソニー・マクヘンリー(キングスには2008-2017まで、9シーズン在籍)。言わずと知れたキングスのレジェンドである。そして4月20日(水)リーグでの4度目の対戦は、マクヘンリーにとって沖縄アリーナで初めての凱旋試合となる。

 

沖縄バスケットボールの過去・現在・未来を報じるメディアOUTNUMBERとして、この対戦の持つ特別な意味を記しておこう。今でこそリーグを代表する「強豪」の立ち位置を固めつつあるキングスだが、そこに至るまでの過程で多大な貢献をしてきたマクヘンリーと「夢のアリーナ」で再会する歴史的な瞬間を沖縄の人たちと分かち合いたい。

 

 

2008年夏 アンソニー・マクヘンリーが沖縄にやってきた

琉球ゴールデンキングスは2007創設以来、2008-2009、2011-2012、2013-2014、2015-2016の4度のbjリーグ制覇を成し遂げている。そんな沖縄バスケットボールの輝かしい歴史を重ねることになったキングスだが、ターニングポイントとなったのは2008年の初夏である。選手として4度の優勝に貢献し、4つのチャンピオンリングを手にしているのは金城茂之(現・仙台89ersアシスタントコーチ)とマクヘンリー(信州ブレイブウォリアーズ)の2人だけ。

いまだに現役で選手を続けているのはマクヘンリーのみである。bjリーグに参入した2007-2008シーズンに10勝34敗と地区最下位と低迷したキングスは、オフに大型補強を断行した。新ヘッドコーチに桶谷大を招聘し、3連覇を成し遂げた大阪エヴェッサからジェフ・ニュートン、さらにニュートンの紹介からマクヘンリーを獲得した。

 

bjリーグ初優勝 2008-2009 キングスを救ったジェフ・ニュートンとファイナルで躍動したマクヘンリー

2008-2009 大阪エヴェッサの4連覇を阻止し初優勝。日本バスケットボール史に残る快挙となった  写真提供:琉球ゴールデンキングス

 

バスケットボールファンのあいだで伝説として語り継がれる2009年のウエスタンカンファレンスファイナル。初めて経験するファイナル4で浮足立ち、いつものプレーが出来ないキングスに対し、3連覇中のディフェンディングチャンピオン大阪エヴェッサの出来はいつも以上に冴えわたっていた。4クォーター残り8分17点差を追いかける瀕死のキングスを救ったのはジェフ・ニュートンの姿をした神だった。彼は最終クォーターだけで20得点、背番号と同じ50得点を記録しキングスをファイナルへ導いた。

神がかり的なパフォーマンスで窮地を救ったニュートン #50はキングス初の永久欠番 写真提供:琉球ゴールデンキングス

 

ファイナルではマクヘンリーが躍動した。守っては東京アパッチのエース『ヘリコプター』ことジョン・ハンフリーを完璧に封じ、攻めては19得点でスコアリーダーとなった。ジェフとマックの最強デュオは、沖縄のプロスポーツにとって初めての日本一をもたらした。ジェフ・ニュートンはレギュラーシーズンMVPに続き、プレイオフMVPを受賞した。

 

3年ぶり2度目のbj優勝(2011-2012)プレイオフMVPはマクヘンリー

2011-2012 浜松にリベンジし、3年ぶりの2度目の優勝  写真提供:琉球ゴールデンキングス

 

キングスが2度目の頂点に返り咲くためには3年を要した。初優勝の翌年(2009-2010)は大黒柱ジェフ・ニュートンが肩を負傷、成長著しい若手エースの金城茂之が膝を負傷し長期離脱を余儀なくされた。一方で、マクヘンリーに求められる仕事は、質と量ともに大幅に増加した。この時期のマクヘンリーは攻撃面でチームを牽引していた印象が強い。2010年のウエスタンカンファレンスファイナルでは前年のリベンジに燃える大阪に敗れ3位、翌2011年は大阪に雪辱を晴らすも、ファイナルでは浜松に及ばず準優勝に終わった。

マクヘンリーはシグネチャームーブとも言えるボースハンド(両手)ダンクで、与那嶺翼からのパスターゲットになり得点を量産した。ディフェンスでは相手のエースを封じ、攻撃面でもスコアリングでチームを引っ張った。2012年のファイナルでマクヘンリーは大車輪の活躍、キングスを3年ぶり2度目の優勝に導いた。この優勝を節目にヘッドコーチの桶谷大はキングスを勇退した。

 

2年ぶり3度目のbj優勝(2013-2014)プレイオフMVPは岸本隆一

2013-2014 ファイナル決勝初進出の秋田に103-89で競り勝ち、2年ぶり3度目の優勝    写真提供:琉球ゴールデンキングス

 

2012-2013は遠山向人がヘッドコーチに就任、レギュラーシーズンを42勝10敗とそれまでのリーグ最高勝率を更新する。2013年1月には岸本隆一がプロデビューを飾った。プレーオフではカンファレンスセミファイナルで西地区5位の京都ハンナリーズに敗れ、2009年の初優勝以来出場していた『FINAL4』(有明)に進めず失意の中でシーズンが終了した。与那嶺翼が退団し、並里成は渡米でキングスを離れた。

 

チームメイトの能力を最大限に引き出すことがマクヘンリーの凄み 写真提供:琉球ゴールデンキングス

 

2013-2014シーズンは伊佐勉がヘッドコーチに就任する。ベテランの域に入ったマクヘンリーは、ポイントガード的な役割を果たしつつ、若返ったバックコート陣の育成をした。しかしこの万能型オールラウンダーの真の凄みは『周りの能力を引き出すチカラ』なのかもしれない。シーズンを通して成長しエースとしての風格が生まれた岸本は、2年ぶりに駒を進めたファイナルで34得点と爆発しキングスに3度目の栄冠をもたらす。ジェフ・ニュートン、マクヘンリーという偉大な先輩の系譜を継いだ岸本はプレーオフMVPに選出された。

 

4度目のbj優勝(2015-2016) マクヘンリーはファイナルでトリプルダブル

2015-2016 bjリーグ最後のシーズンを最多となる4度目の優勝で飾った  写真提供:琉球ゴールデンキングス

 

2008年から苦楽を共にしてきたジェフ・ニュートンが引退し、「ジェフ&マック」のデュオが解体された2014-2015シーズンは再び有明に辿り着くことなくキングスは敗退した。『#50』の抜けた喪失感のようなものが、根底にはあったのかもしれない。結果的に優勝を成し遂げる浜松(現・三遠)に苦杯をなめた。分裂していた2つのリーグが統合され、2016年秋にBリーグが始まることが決まった。2015-2016はbjリーグとして最後のシーズンとなった。

2年ぶりの有明に駒を進めたキングスは、地区決勝で2年連続地区1位のライバル京都と対決し、87対56と31点差で圧勝した。ファイナルでは初めて決勝に進出した富山グラウジーズを退け、bjリーグ最多4度の優勝を成し遂げた。マクヘンリーの有明で見せたパフォーマンスは圧巻だった。準決勝では京都のエースを徹底的に封じ込めた。決勝では10得点、15リバウンド、10アシストのトリプルダブルという偉業を成し遂げた。地道にインサイドで身体を張り、シューター陣へのパス供給といった献身性が最後の大舞台で数字に現れた。

 

マクヘンリー特集 後編はこちら

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